<4>改名のお伺いを師匠に立てたら「話す幸せで談幸。いいじゃないか」と…
地方公演に行くと、主催者が土地の名産品を持たせてくれることが多い。ありがたいのだが、それを持って帰るのは前座なのだ。
「小さくて軽い物はまずありません。たいてい、かさばって重たい物です。当時は宅配便がなかったから東京まで持って帰るしかない。一番重たかったのは、酒粕でしたね。あれは重いですよ。銘酒の一升瓶も割れ物なので大変です。新巻き鮭数本ということもありました。一番腹が立ったのは、洗剤を何箱もくれた主催者。土地の名産でもないし、なんの意味もない。そんな物でも師匠は断らない。大きな箱の山がうらめしかったです」
4年の前座修業の後、1982年に二つ目昇進を果たした。その際、談吉から談幸と改名する。
「落語家名鑑に載っていた名前で、これにしようと自分で決めました。師匠にお伺いを立てたら、『話す幸せで談幸。いいじゃないか』と言ってくれまして」
幸という字が入った芸名は、それまでありそうでなかった。いい名前である。翌年1月、明治大学落研の同級生、竹内照雄が談志に入門した。立川志の輔である。そして6月、落語界を揺るがす大事件が起こる。 =つづく