<3>広い部屋に2人きり…「師匠と同棲してます」と言って笑いを取ってました
談幸が入門して1年半後、談志一家が練馬区南大泉の一軒家に転居することになった。
「西武新宿線の武蔵関駅から歩いて20分。当時は近辺が畑ばかりで、寂しいところでした。10部屋もある広い家なので、私も住み込むことになりまして、初めての内弟子です。当初はおかみさんが料理を作ってくれたので、上げ膳据え膳で楽だったんですが、そのうちおかみさんが大久保のマンションへ戻ると言い出した。その理由が、『伊勢丹が遠いから』(笑い)。子供たちも通学に不便だからっておかみさんに付いてっちゃった。広い家に師匠と2人きりになって、私がお世話することになりました。昼席の楽屋仕事がある時は、師匠が寝ているうちにご飯を炊いて味噌汁だけ作っておく。お総菜は師匠が自分で作ります。その頃、高座で、『師匠と同棲してます』と言って笑いを取ってました」
師弟だけの同居生活、その思い出は談幸の財産になっている。
「近所に<いなげや>というスーパーマーケットができることになって、それまで駅前まで買い物に行ってましたから救いの神です。用地の畑を掘り起こす工事が始まったら、師匠が『土をもらってこい』と言い出した。師匠宅の庭は、ちょっと掘るとガレキが出てきて、土の質が悪い。『畑の土だから質がいいはずだ』というわけです。工事現場に行って頼みましたよ。談志が欲しがってると言ったら、有名人のありがたさで、『好きなだけ持ってきな』と言ってくれた。となると、運ぶのは私です(笑い)。一輪車を借りて、何往復もした。落語家になって土を運ぶとは思わなかった。庭の草花が育つようになったのは私のおかげです」