<4>改名のお伺いを師匠に立てたら「話す幸せで談幸。いいじゃないか」と…
談幸(前座名・談吉)が恵まれていたのは、当時の落語協会に名人上手の師匠が大勢いたことだ。
「談志と共に四天王といわれた春風亭柳朝師匠、古今亭志ん朝師匠がご健在で、稽古をしていただきました。先代三遊亭円楽師匠は落語協会分裂騒動の際、協会を脱会してましたが、談志と仲が良かったので噺を教わりました。大師匠の小さんのお供をしたこともあります。大食漢なので、やたらと食べさせられた思い出があります」
地方での落語会に師匠のお供をするのも前座の仕事である。
「師匠は高座着の他にも身の回りの物をたくさん持っていくので大荷物になります。カバンが3つ、私の荷物が1つ、4つのカバンを私が持ちます。ある旅の時、同行の芸人たちを受けさせようと、着物に袴、山高帽にステッキという、田舎の村長さんみたいな格好で羽田空港に行きました。円楽師匠をはじめ、芸人一同にバカ受けして、師匠は『どうでえ』と上機嫌でしたが、山高帽とステッキは旅の間中、私が持つことになる。カバンが4つもあるところに帽子とステッキは邪魔でしたねえ」