正司花江師匠に聞いた「かしまし娘」時代の超多忙 昭和30年代は大阪‐東京を飛行機で1日2往復
「怒って帰られた、次の舞台はどうされたんですか?」「なんもなかったように普通に舞台やってたね。あんまり言うたらまた怒って帰るから、こっちも抑え気味に……子供みたいでしょ?」
■「漫才はむずかしい。けどこんな楽しいもんもない」
お正月興行や特別興行だけに出演されるようになってからは「ふだんしてへんから、今までできてたことができひんのよ」「息と間が違う」「そう! 舞台降りたら、あんたが早い遅いでケンカになって、(仮に)10日の出番のやったら、楽日にちゃんとできるようになってたぐらいちゃうかしら。あかんねー、なんぼキャリアがあっても、やってなかったら微妙な間が合わへんのよ。漫才はむずかしい。けどお客さんが笑ろてくれはったらこんな楽しいもんもないんよね」といつも“小僧”のような私にも礼儀正しくやさしく丁寧になつかしそうに話してくださいました。
もちろん他の若いスタッフにもいつもきちんとされていたのが印象的でした。花江師匠はもちろん「かしまし娘」のみなさんの笑いの昭和史を語っていただきたいと思いました。どうかこれからもお元気でお過ごしください。