正司花江師匠に聞いた「かしまし娘」時代の超多忙 昭和30年代は大阪‐東京を飛行機で1日2往復
楽屋に挨拶に行くと「そない緊張せんかてよろしいやんか、とって食べへんから大丈夫やし!」と大笑い。思っていた以上にガチガチになっていたようです。
「こちらこそよろしゅうお願いします」とわざわざ立ち上がって挨拶をされ「漫才作家」と書かれた名刺をお渡しすると「いや、漫才書いたはんのん? 誰のやつ?」「阪神巨人さん、いくよくるよさん、トミーズ、ハイヒール……」と名前をあげていくと「超売れっ子さんやんか! 凄いね。演者さんによってみな違うでしょ? どない書いたはんのん?」と当日の打ち合わせを差し置いて、漫才の話で盛り上がりました。
そして最後には、3人みなさんに言っていただいたことですが「これからも漫才書いてね。書く人いてへんねんから、頼むね」と逆に頭を下げて言っていただきました。
それから何度となくご一緒するうちに、「かしまし娘」時代の舞台の話も伺いました。全盛時代の昭和30年代に1日に大阪-東京間を飛行機で2往復し、テレビと舞台に出演されたり、舞台で妹2人にツッコミまくられて、怒った歌江師匠が「私しゃ帰る! あんたらだけでやり!」と本当に楽屋に戻ってしまわれたことなど、今では考えられないエピソードばかり。