農民が労働者の視点を持ち始めた 共産主義運動の流れで急増した「小作争議」
橘孝三郎らが目指した農村共同体の改革は一面で近代日本の資本主義体制への挑戦でもあった。農民がまさに、「生かさず殺さず」の環境で日々働くことでその体制は支えられていた。
大正期の小作農の生活がいかにひどいかは農本主義者たちの怒りを見ていくことで容易にわかる。橘は、農家の一…
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