ソフトBドラ5・島袋洋奨 父が2歳で与えた「左用グラブ」
■「琉球トルネード」と呼ばれる左腕に成長
美由紀さんが島袋を出産した時は難産だった。体重はわずか2300グラム。両親の心配を察して余りある。
「しばらくは本当に心配でしたけど……特に病気をすることもなく育ってくれました」(美由紀さん)
直司さんにとってつらかったのが、子供たちと過ごす時間が短かったことだろう。
「私の仕事は電気事業。送電線の工事が主な仕事です。ほら、山の上とかに立っている大きな塔の工事とかです。その工事の現場所長をやっているんです。ただ、ウチの会社は沖縄営業所はあっても事業所はない。長男が小さい時も単身赴任が多かったんですが、洋奨が10歳くらいから、また単身赴任が続くようになったんです」
九州各地をはじめ、山形、東京、そして現在は京都に単身赴任中だ。子供たちの成長過程を見られず、いつしか末っ子の島袋は興南高校のエースに。かつて自分が憧れた甲子園に我が子が出場するとあっては、居ても立ってもいられない。
興南が春夏連覇した10年、直司さんは赴任していた山形から夜行バスに乗り込み一路、甲子園へ。息子の応援に喉をからし、連覇を見届けることができた。