ソフトBドラ5・島袋洋奨 父が2歳で与えた「左用グラブ」
直司さんにとって幸運だったのは、島袋が中央大学に進学する直前に、多摩の東京支社に移ることになったからだ。
「大学のグラウンドから支社は近いですからね。毎週末、洋奨の練習を見に行ってました。神宮球場にも応援に行きましたよ(笑い)」
これで次の単身赴任先が福岡だったら面白いが、どうもそうはならないようだ。「福岡ならよかったんですけどねえ」と直司さんも苦笑いだ。
直司さんは島袋が2歳の時、当時から将来は投手にするつもりで、右利きの我が子に左利き用のグローブを買って与えた。そんな島袋は「琉球のトルネード」と呼ばれる左腕に成長。そしてプロ野球の門を叩いた。
島袋は大学時代、左ヒジを故障し、制球難に陥った。今も制球は完全に戻っていない。それでも直司さんは言う。
「悩んで苦労した時期もあったと思う。でも、そうした経験は後々生きてくると思うんです。興南時代はスイスイとうまくいき過ぎたでしょう。今後は野球以外でも挫折を味わうかもしれない。でも、こうやって悩んだことは忘れないもの。洋奨の人生にとっては、良い糧になると思います」