日ハム1位・上原 運動万能夫婦に育まれた“豪脚”誕生秘話
中学3年時には沖縄県内の高校から誘われる選手になったものの、本人はプロを目指すためにも県外の強豪校に進むつもりでいた。そのとき健さんの頭に、ふと浮かんだのは2003年のセンバツで全国制覇した広陵だった。
「私はよく、センバツを見に甲子園に行くのです。そのときは横浜高校を見たくてスケジュールを組んだのですが、たまたま横浜高校の前に試合をした広陵高校の試合前のシートノックを見て唖然とした。選手個々が流れるような動作でノックを受けていたのです。そのときの強烈な印象があったので、広陵はどうだと。で、9月のオープンスクールを見に行き、部の雰囲気、先輩たちの対応に好印象をもったようです」(健さん)
広陵の中井監督によれば「足が速く、野球以外のスポーツもよくできた。走ることに関しては負けたところを見たことがない気がします。300~400メートル走も速かった。とにかく走っている姿が印象に残っています」という。
明大時代はリリーフが多かった。「ブルペンで投げているときに、もうそろそろボクの出番でしょ? と、こちらをチラチラ見てくる。厳しい場面でも決して逃げない、意気に感じるタイプです」と善波監督は話す。