南野が移籍サウサンプトンでエレガントな痩身FWを思い出す
英プレミア・リバプール所属の南野拓実(26)が、同リーグ中堅のサウサンプトンに電撃移籍した。
欧州を代表する名門リバプールに移籍した1年目の昨シーズンは、リーグ戦10試合に出場し、30シーズンぶりのリーグ制覇を経験した。しかし、今シーズンは2020年12月にリーグ初ゴールを決めたとはいえ、その後のリーグ7試合は途中出場が1回だけ。しかも6分間と短いものだった。
リバプールの前線にはブラジル代表フィルミーノ、セネガル代表のマネ、そしてエジプト代表のサラーがいる。欧州でも屈指の破壊力を持つ強力3トップの牙城に食い込むのは簡単なことではない。期限付き移籍を選択するのも当然だろう。
移籍直後、サウサンプトンは、首位争いを演じている強豪マンチェスター・ユナイテッドと敵地で対戦し、0ー9という記録的な大敗を喫してしまった。南野は登録が間に合わず、出場できなかったのは「不幸中の幸い」ではなかったか。
■セント・メリーズ・スタジアムで日本対ナイジェリアを取材
ユナイテッドの本拠地オールド・トラッフォードで無観客試合として行われた試合を見ながら、20年前の2001年の思い出にしばし浸った。
翌2002年に日韓共催W杯を控えたトルシエ監督率いる日本代表が欧州遠征に出掛け、筆者は同業者3人と一緒に渡英し、ロンドンを拠点にして取材にいそしんだ。
10月4日、最初にフランスのランスを訪問地に定めた。日韓大会でW杯杯初出場を決めたセネガルとの一戦が行われるからだ。ロンドンからレンタカーで<フランスに近い港町>ドーバーに向かって100キロほど車を走らせ、フェリーに乗ってドーバー海峡を渡り、フランス側の港町カレーに到着した。そこから内陸に向かって250キロほど先のランスを目指し、交代しながら運転した。
フェリー内で買い物をしようにも、当時はまだユーロが浸透していなかったのでスイス・フラン? ポンド? と日本円への換算がややこしかった記憶がある。
試合は日本代表が0-2のスコア以上の完敗となった。正直、初めて目の当たりにしたセネガルが、こんなに強いとは思わなかった。ディウフやカマラといった中心選手は、ただ身体能力に優れているだけでなく、高度なテクニックも持ち合わせていた。のちに日韓W杯の開幕戦で前回覇者フランスを1ー0で破って世界をアッと言わせるわけだが、いくらフランスが大黒柱ジダンを負傷で欠いていたとはいえ、日本相手のパフォーマンスを見た限り、決してフロックではなかった。
試合翌日、再びドーバー海峡を渡ってロンドンに戻り、ひと休みしてから深夜にロングドライブだ。6日にオールド・トラッフォードで行われるW杯欧州予選最終戦のイングランドvsギリシャを取材するためである。
ロンドンとマンチェスターとの距離は335キロ。降りしきる雨の中、高速道路M40を5時間かけて移動した。
イングランドはすでにW杯出場を決め、同予選組のドイツとの1、2位争いが注目されていた。
この日はチケットを購入しての観戦だ。ウエスト・スタンドと呼ばれるホーム側のゴール裏は2層構造になっており、座席はかなり上の方だった。
それでも、後半アディショナルタイムにベッカムが直接FKを叩き込んだ瞬間を目撃できたのでラッキーだった。試合は2-2のドロー決着。同じ勝点ながら得失点差で上回ったイングランドが1位に、ドイツが2位で予選を通過した。
ちなみに予選敗退となったギリシャのドイツ人監督レーハーゲルが、3年後にポルトガルで開催されたEURO2004で初優勝するとは、本人も含めて予想した人間は皆無だったはずである。
マンチェスターからロンドンに戻り、すぐに130キロ先の南部の港町サウサンプトンへのドライブが待っていた。7日にサウサンプトンの本拠地セント・メリーズ・スタジアムで日本がナイジェリアと対戦するからだ。
相手はオコチャ、ババヤロ、ババンギダとった1996年アトランタ五輪の金メダリストを擁していたが、親善試合とあって本気度は高いとは言えなかった。だからだろう、日本はFW柳沢敦とFW鈴木隆行がゴールを奪い、2-2の引き分けに持ち込んだ。試合を見ながら、改めてナイジェリアの強さを再確認したことを強烈に憶えている。
■李忠成や吉田麻也が在籍したクラブ
サウサンプトンといえば、元日本代表FW李忠成が2012年から2シーズンを過ごし、昨シーズンまでは日本代表DF吉田麻也が8年間在籍したクラブでもある。
しかし、個人的には中学生時代に「ダイヤモンドサッカー」で見て、その格好良さに憧れたFWミック・シャノンの所属していたクラブ!というイメージが強い。
赤と白の縦縞のユニホームを身にまとい、長髪をなびかせながら疾走する痩身のFW。エレガントなプレーが大好きだった。サウサンプトンでの通算227ゴールは、現在もクラブの最多得点記録である。スタジアムはそれまで103年間使ってきたザ・デルから2001年8月に移転したばかり。どこもかしこも白く、美しく輝いていた。
南野は「エゴイスト」になるべき
スタジアムの東西南北に4つのスイートルームがあり、それぞれにサウサンプトンで功績を残した選手の名前が冠されている。メディアのワーキングルーム近くにある出入り口で足が止まった。
「Mike Channon Suite」と名前の書かれただけのプレートとはいえ、見つけた時には懐かしさがこみ上げたものである。
このサウサンプトンから東南に27キロほど向かうと、同じ港町をホームにするポーツマスがある。 距離が近くて同じ港町のクラブというライバル関係にあり、両チームの対戦は「サウスコースト・ダービー」もしくは「ハンプシャー・ダービー」とも呼ばれる。
2週間後の10月21日のこと。当時(英プレミアの下)2部に相当するディビジョン1のポーツマスに日本代表GK川口能活が加入することが正式決定した。想定外のイングランド行きには大いに驚かされたものだ。
W杯イヤーの2002年2月、再びポーツマスを訪れて川口にインタビューし、終わってから海沿いのレストランで食事をしたことを思い出す。
■南野は<目に見える結果>を残さねば
そして南野である。
サウサンプトンはレンタル移籍終了後の「買い取りオプション」を契約条項に入れるように要望したようだが、それをリバプールは拒否。クロップ監督の意向が強く反映されたという報道もあった。南野は、クロップ構想に入っている選手として期待されているということなのだろう。
いずれにしても、南野はサウサンプトンでしっかりと出場機会をつかみ、ゲーム体力を回復させながら早く、可能な限り早くゴールとアシストという<目に見える結果>を残さなければならない。日本時間7日深夜零時キックオフのニューカッスル戦で好パフォーマンスを発揮し、ユナイテッド相手の0ー9ショックを払しょくしてもらいたい。
南野に対しては「エゴイスト」になることを期待したい。どうしても日本人選手は、ピッチの上でも謙譲を美徳とする傾向が強く、無意識に「縁の下の力持ち」役を引き受けてしまう。
それは、日本社会で評価されても、海外ではまったく通用しない。とにもかくにも、チャンスと思ったら強引に攻め入り、ただひたすらにゴールを狙って欲しい。海外生活の長い南野は、もちろん百も承知だろうが、それでも言わないではいられない。エゴイスティックな点取り屋として、赤白の縦縞ユニフォームを身にまとい、シャノンのように光り輝いてほしい。