巨人との89年日本Sは3連勝後に4連敗…私が4戦目に投げなかった裏側
■「いけません」とは言えなかった
それでも4戦目に関して「いけません」とは言わなかった。というより言えなかった。プロ2年目の前年から開幕投手を務めていたし、権藤さんには以前から「チームにチャンスがあるときはムリをしてもらうかもしれない」と言われていたからだ。
近鉄には日本一になった経験がない。悲願でもあったその日本一まであと1勝に迫っていた。チームのエースという自覚も、自分が投手陣の先頭に立っていくという気概もあった。4戦目に投げろと言われれば投げる覚悟があったとはいえ、結果としてそうはならなかった。4戦目は小野和義が先発、私が投げたのは5戦目だった。
最終的に監督の仰木さんと権藤さんの間で、どんな話があったのかは分からない。3連勝したがゆえに生じた余裕もあったように思う。しかし、権藤さんは基本的に投手を守ろうとする気持ちの強い人だ。それだけに私には「4戦目にいくぞ」とは言わず、あえて状態を確認したのだと思う。
さて、近鉄は王手をかけながら4連敗。5戦目に先発した私も6回2失点で敗戦投手になった。