「水原騒動」とは日本のメディアの談話主義がロクでもない人物をのさばらせた結果だ
長嶋茂雄さんの現役最後の1974年、ヨギ・ベラ監督以下、トム・シーバー、ジョー・トーレら「ミラクルメッツ」が来日した。
私がスポーツ紙に入った秋で、試合後、メッツベンチでお茶を濁して席に戻ると先輩記者たちに囲まれた。彼らは何を話したか……。マシュマロの食べ方や和式トイレなどたわいもない話だった。
「打ったボールはベースボールだそうです」と答えて喜ばれたのを覚えている。英語を少しでも話す記者はめったにいなかったのだ。
時が流れて1993年、出版社の知人に、ポルトガル語の通訳を紹介してくれと頼まれた。開幕したJリーグの目玉は鹿島アントラーズのジーコ。立っているだけでいい、バカ野郎だけでも分かればいい、若い人を……。紹介した若者は優秀で、そこから自分の道を切り開いた。
一言聞いて30行、二言聞いて80行、語り明かせば本になると言われた時代である。
私もポルトガルのポルトガル語を少し話す。レストランで注文したり冗談を言い返す程度だが、通訳も頼まれた。