スポーツのプロ化を広告代理店に委ねた競技団体と新聞社の変わらぬアマチュア体質
久々に週刊文春を買った。受託収賄で起訴された東京五輪組織委員会元理事、高橋治之被告のインタビューを読んだ。
被告が受け取った金がコンサルタント料か賄賂かはいずれ法にのっとって判断されるだろうが、この問題は検察だけに委ねるものではないはずだ。なぜ元電通マンがスポーツの祭典招致のカギを握ったのか。
■1984年ロス五輪を梃子に
大手代理店の電通がスポーツベントに乗り出したのは1970年代後半、とりわけ80年代半ば、すなわち冷戦崩壊と技術革新に沿ったスポーツのプロ化の流れの中で力をつけた。
それ以前のスポーツ興行は、例えばペレの引退やテニスのプロツアーは、シナトラらを招聘していた青山音楽事務所が手掛けた。ゴルフ、陸上、NCAAのバスケットやアメフトはテレ・プランニングの藤田敦、あるいはジャック坂崎といった一匹狼が太平洋を股にかけて本場の醍醐味を持ち込んだ。
84年のロサンゼルス五輪を梃子に、スポーツ界はプロ化に舵を切り、電通が本領を発揮し始めた。サッカーのトヨタカップ(現クラブ世界選手権)、世界陸上、テニスの4大大会などの開催権、放映権交渉は一匹狼では難しかった。