<第3回>父親を襲った“燃え尽き症候群”の顛末
野球が強かった黒沢尻工は当時、OBが全国の社会人チームで活躍していた。彼らは大会が近くなると黒沢尻工に足を運び、後輩たちの面倒を見てくれていた。
大谷の父・徹(52)はその中のひとり、千葉の名門チームでプレーする先輩のツテで、そこに入社しようと思った。黒沢尻工の監督、両親、先輩も含め、千葉の製鉄会社に就職するつもりで話を進めていた。高校の次は社会人でプロを目指すつもりだった。
ところが3年夏、高校生活最後の県大会で初戦敗退。3年間、ただひたすら野球に打ち込んできたつもりなのに、1年夏の県大会決勝で敗れた盛岡一にまたしても敗れた。
中学時代に陸上競技の100メートル走で味わったあの感覚。コンマ数秒だろうと負けは負け。1番にならない限り、どうやっても他人の背中を見せられる。それが嫌で野球部に入ったはずなのに、敗北感というか、むなしい感覚がよみがえった。野球のことはしばらく、考えたくなかった。情熱を注いだ分、反動は大きかった。内定していた千葉の製鉄会社への就職も断った。燃え尽きた、はずだった。