<第17回>語り継がれる水沢リトル「大谷伝説」の真贋…《2つ年上くらいとは割と対等にやれていた》
水沢リトルには、いまも語り継がれる「大谷伝説」がある。
胆沢川の河川敷の長方形の敷地にグラウンドが2面。国道4号から見て奥を小学校低学年のバンディッツ(山賊)、手前を高学年のパイレーツ(海賊)が使っていた。パイレーツは右翼フェンスまでの距離が60メートルくらい。大谷の打球は軽々とフェンスを越え、その10メートルほど先を流れる胆沢川にポンポン飛び込んだというのだ。
硬式ボールの値段はバカにならない。あまりにも頻繁にボールを川に放り込むため、首脳陣が悲鳴を上げた。胆沢川に打ち込んだら罰金というルールができて、大谷はそれゆえに左翼方向への打撃を覚えたという尾ひれまでついた。
「そういうわけではないでしょうけど……」と、当時、水沢リトルでコーチ、監督をしていた父・徹(52)が、苦笑しながらこう言った。
「それなら、思い切ってグラウンドを入れ替えましょうかと。(低学年と高学年が)使っている場所を、です。どうしてもライト方向が狭かったので。たまに入れ替えていた気もしますね」