保阪正康 日本史縦横無尽
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瀬島龍三への疑問
私が、戦前は大本営参謀、戦後は財界人、さらには中曽根康弘内閣に協力して、行財政改革を進めた瀬島龍三の事績をまとめた書を刊行したのは、昭和62(1987)年12月であった。現在は文春文庫に入っているが…
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「対米英百年戦争」を発想した日本の混乱
大本営の参謀が考えていたソ連と連携しての百年戦争は、あまりにも現実離れしている。実際にそのような考えを持っていたのは、どのくらいいるのか。私はそのことに興味を持った。先に参謀のAが敗戦時に、勝手に満…
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「対米英百年戦争」計画の思惑
大本営参謀のAは、敗戦の動きを知るとすぐに、関東軍司令部に飛んで行くことになった。関東軍はソ連の満州進出に対応するために、司令部を後方に下げて防備の体制をとることを決めている。それでも8月15日は、…
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大本営参謀がソ連側に手渡した文書
大本営参謀の間には、対米英戦争を「百年戦争」と見る者が存在したと裏づけられる事実が、ある時期から不意に明らかになった。そのことを改めて書いておこうと思う。 1990年代に入って、ソ連の社会主…
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クーデター計画は極めて短期間に練られた
1945年8月15日の軍人によるクーデターまがいの計画とはどのようなものであったか、それについて、私は半藤一利と共に実態を探ろうと努めてきた。「謀は密なるを以て良しとす」という故事に倣えば、確かにこ…
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昭和20年8月15日前後の混乱を探り続ける
作家の半藤一利と私が、この「八月十五日反乱事件」は、巷間で語られているよりもはるかに規模の大きいクーデター計画ではなかったかと思った理由は幾つかある。陸軍省軍務局の政治将校が立案し、実際に近衛師団と…
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「あの事件にはもっと裏がある」半藤一利の遺言
「八月十五日反乱事件」、あるいは「録音盤奪取事件」などと言われる事件は、東部軍司令官の田中静壱大将の自決をはじめとして、事件を防いだ者はほとんど自決をしているので、真相は伏せられた形になった。近衛師団…
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「録音盤奪取事件」将校たちの最期
「八月十五日事件」、あるいは「録音盤奪取事件」などと評される事件の終末部の動きを明かしておこう。これまで事件の概略を追いかけてきたのだが、最終的にどうなったのか、を書いていく。主導的な役割を果たした省…
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近衛師団ニセ命令書による反乱の顛末
近衛師団の参謀が作成したニセの師団命令書は、近衛師団の主力は宮中を守り、一部は放送局を遮断して、宮中内を捜して録音盤を奪取するという計画であった。この大義名分は、天皇を和平派から守るという点にあった…
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終戦時に陸軍将校が起こした反乱の全貌
もし本土決戦派がポツダム宣言の受諾を拒んで、戦争継続を進めるためのクーデターまがいの行動で権力を握ったらどうなったのか。その時には首相に擬せられる恐れのある東條英機について、前回まで検討を続けてきた…
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終戦後、東條英機は一転してアメリカを礼賛した
東條英機元首相の自決未遂について、もう少し記述しておこう。私自身、詳細に調べたことがあるので、その後の様子には詳しい知識を持っている。太平洋戦争をはじめ、そして戦時下を指導した人物として、その像は歴…
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東條英機の入れ歯に「RPH」と彫った米軍の嫌がらせ
東條英機元首相の自決未遂は、軍人たちを驚かせ、そして失望させた。私は昭和史解明のために多くの軍人たちに会ってきた。この自決未遂の話になると、一様に「東條は一気に名前を落としたね、こんな腰抜けだとは思…
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東條英機のあまりに覚悟に欠けた自決
東條英機の自決未遂は、この日のラジオニュースや翌日からの新聞によって報じられた。むろん全体に嘲笑、批判交じりのニュアンスがこもっていた。中には芝居であろうとか偽装であろうとの声もあった。批判の意味は…
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東條英機の自決を防いだマッカーサーの狙い
東條英機が自決の場として選んだ応接間の机に、一枚の写真が飾られていた。大東亜会議で自らが議長であり、参加国の指導者然であることを誇示する写真であった。東條にはそれが今次の戦争の誇りであったのだろう。…
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混乱する東條英機が起こした自決未遂
東條英機元首相が昭和20(1945)年8月14日に秘書官だった赤松貞雄大佐に宛てて書いた、東條英機メモを紹介しているのだが、そこでは天皇に死をもって詫びなければならないと思っていると言い、「決して不…
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官軍派の心理を制した賊軍派の終戦工作
省部の中堅将校のクーデター計画は、東部方面軍と近衛師団の兵士を動かして宮中とポツダム宣言受諾派の連絡を遮断する、そして彼らの意思を受けた政府が、まず国体護持の確約を連合国側に迫り、それが明確になるま…
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8月15日前後に起きたクーデター未遂事件
このシリーズで、昭和20(1945)年8月15日の敗戦に至るまでに、不可解、不透明な史実があることを記してきた。繰り返しになるがそれは次の3点である。①8月15日前後に語られていない大掛かりなクーデ…
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東條英機が操った子供騙しの論理
戦時指導者だった東條英機元首相の、ポツダム宣言受諾による敗戦という事態への怒りについて、前回5項目を指摘した。この軍人の戦争哲学の怖さについて、私たちは歴史的な総括をしておかなければならない。敗戦時…
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敗戦を拒み、耽溺した軍事指導者たち
この段階にあって、東條は「敵の脅威」に怯え、簡単に手を上げる国政指導者と国民の気迫のなさに愕然とすると言って、次のように書く。 「之れに基礎を置きて戦争指導に当たりたる不明は開戦当時の責任者と…
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子供の人間爆弾を讃えた東條英機
太平洋戦争の期間の3分の2を担った東條英機が、昭和20(1945)年8月15日に至る5日ほどの間、どういう心理状態にあったか。そのことを明かす資料が、十数年前に日本経済新聞の記者と半藤一利、そして私…