保阪正康 日本史縦横無尽
-
ポツダム宣言前、賊軍派による対ソ政治工作は拙かった
ソ連を仲介とする案が国策上もひとまず決定したが、そのための具体策は首相、外相の経験者である広田弘毅がソ連の駐日大使のヤコフ・マリクと会って反応を打診することにあった。広田はマリクと外交官仲間というこ…
-
ロシア・ソ連に仲介役を頼んだ大日本帝国の大失敗
ソ連を仲介役とする案が表面化するのは、ソ連自体がこの中立条約の破棄を通告したことが、実は最大の理由だと言える。鈴木貫太郎内閣の誕生から間もなくの頃であり、通告から1年後に自動的にこの条約は効力を失う…
-
明治維新から太平洋戦争まで続く77年の対立の終着点
太平洋戦争の最終段階というべき4カ月間、鈴木貫太郎の役割は天皇の意思を理解する一方、もう一方で軍部の強硬派である本土決戦に固執する指導部や作戦参謀などをなだめつつの日々であった。この構図の中に明治維…
-
鈴木貫太郎が戦っていたのは徹底抗戦派ではなく官軍的心理であった
鈴木貫太郎首相は自らの周辺では、それとなく日本が戦う状態にないこと、さらには講和の意思もあることを漏らしている。しかし表向きは、聖戦完遂という姿勢も貫いている。すでに紹介したように、官軍的手法や心理…
-
鈴木貫太郎は戦争終結を求めてアメリカにメッセージを送った
昭和天皇と鈴木貫太郎のコンビは、官軍的発想や手法といかに戦ったかを続けていくことにするが、鈴木の「演技」は命懸けの戦いでもあった。本土決戦を呼号する軍事指導部、それに追随する政治家や言論人、官僚、経…
-
鈴木貫太郎は2つの覚悟を貫くために本心を隠して演じ切った
昭和天皇と鈴木貫太郎が心を通じ合う形で、太平洋戦争の敗戦を受け入れる体制を固めていくのは、ある意味で近代史の軍事主導体制にひとまずの決着をつけることを意味していたと言える。それは薩長閥を軸にして始ま…
-
近代史の出発点である明治天皇、終着点の昭和天皇の違い
こうして昭和天皇と鈴木貫太郎という近代史総決算の布陣が出来上がった。これは明治維新時に大久保利通や大村益次郎など、薩長の指導者が明治天皇と共にこの国の新しい方向性を確立するための体制と共通するものが…
-
藤田尚徳侍従長は昭和天皇が“大政奉還”をした光景に立ち会った
昭和天皇が鈴木貫太郎に会って、大命降下を受けてほしいと頼み込む光景は、実はその場に立ち会った侍従長の藤田尚徳の回想録に余すところなく書かれている。このシリーズでも一部触れたことがあるのだが、藤田の筆…
-
昭和天皇自身にしか味わうことのなかった戦争終結への焦燥感
官軍的手法や心理構造、そして賊軍的な手法について、近代史の史実を取り出して検証を続けているわけだが、太平洋戦争の開戦と敗戦の局面を見るとその両面がよく見える。さらにそのことを裏付けているのは、昭和天…
-
薩長出身の連中はなぜ自滅の思想に至ったのか
太平洋戦争が始まった時、鈴木貫太郎は二・二六事件時に受けた傷も癒えて枢密院副議長のポストにあり、議長の原嘉道を支える立場であった。その立場ゆえに開戦に突っ走る東條英機内閣を不安な目で眺めていた。この…
-
ロンドン軍縮条約締結は艦隊派と条約派の戦いだった
鈴木貫太郎が太平洋戦争を終わらせたのは、歴史的には賊軍的手法、あるいはその心理を用いてということになる。海軍に比して、陸軍の長州閥が大正、昭和に変質していくのだが、確かに長州出身者が要職を占める例は…
-
シーメンス事件で薩摩藩が一掃されることで英米強硬派が生まれた
結局、海軍が薩摩閥隆盛を終えたのは、皮肉なことに外国からの賄賂をめぐる事件に端を発していた。日露戦争の後に起こったシーメンス事件である。もともと海軍の近代化は、イギリスやドイツから艦船を買い入れて軍…
-
賊軍出身で徹底的にいじめられた鈴木貫太郎の苦労
鈴木貫太郎は、太平洋戦争を終わらせた首相である。鈴木は慶応3(1867)年に関宿藩の藩士の家で生まれたが、この藩は久世家が治めていた。鈴木が生まれた頃は、久世家は大坂代官だったという。鈴木家は主要な…
-
長州閥、薩摩閥の発想、あるいは賊軍的発想とは
賊軍的発想、あるいは手法とはどのような内容なのか。わかりやすくいうならば、むろんこれは明治維新時に薩長に抗して戦った藩が賊軍となるわけだが、確かに官軍、賊軍という言い方はいささか乱暴である。結局、薩…
-
長州閥の官軍的発想の模範としての東條英機
陸海軍の藩閥勢力は、確かに昭和に入ると勢いを失っている。昭和6(1931)年9月の満州事変以降の首相を見たとき、陸海軍出身の首相は太平洋戦争終結時までに8人いるのだが、そのいずれも薩長出身でないこと…
-
東條英機が始め、鈴木貫太郎が終わらせた戦争
これまで昭和の首相のそれぞれの時代の実像を見てきた。主にその役を果たせなかったタイプを取り上げて考えてきた。そこで最終的なまとめとして少し視点を変えてより大きな発想で「昭和宰相論」を締めくくっていき…
-
シリーズ「伴食宰相」(26)「神の国」発言の森喜朗は村山談話に閣僚として同意していたはずではないか
首相が「使い捨て」時代の例として、昭和という時代を中心に見てきた。その中で昭和から平成にかけての首相の入れ替わり期をD群として、個別に見てきた。そのグループに入る森喜朗元首相についての「神の国」発言…
-
シリーズ「伴食宰相」(25)「神の国発言」で社会を愕然とさせた森喜朗の登場
首相の失言、放言には2つのタイプがある。ひとつは首相にあるまじき常識外れの失言である。主に教養のレベルが問われる。麻生太郎元首相の漢字が読めないなどはこの系譜であろう。もうひとつは歴史観の内容である…
-
シリーズ「伴食宰相」(24)権力に憑かれ晩年を汚した海部俊樹の政治遍歴
海部俊樹は、旧与党勢力から担がれて、そして自民党の社会党との連立政権に反対する反乱組の票を加えて、再び首相の座に就こうと試みた。これは政治的にはどのように表現すべきであろうか。55年体制の野党との連…
-
シリーズ「伴食宰相」(23)古巣の自民党議員の支援を期待した海部俊樹の不透明さ
昭和から平成に移る過程で、13年間の間に10人もの首相が生まれている。この間をD群と評して、昭和のいくつかの時期の首相の「使い捨て」の実態を見てきた。ことD群に限れば、ここには宇野宗佑、羽田孜のよう…