子供の人間爆弾を讃えた東條英機

太平洋戦争の期間の3分の2を担った東條英機が、昭和20(1945)年8月15日に至る5日ほどの間、どういう心理状態にあったか。そのことを明かす資料が、十数年前に日本経済新聞の記者と半藤一利、そして私の3人で、東京裁判で却下された資料、文書を検証している時に発見された。弁護団長の…
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