秦真司 間近に見た「名将」の真実
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侍J率いる稲葉監督には当たり前の東京五輪金メダルの期待
ロサンゼルス五輪決勝の相手は、直前の日米大学野球で1勝6敗と一方的にやられた米国だった。 後にメジャーで1シーズン70本塁打の記録を打ち立てるマーク・マグワイアら最強メンバー。地元開催だけに…
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日米大学野球を戦いそのままロサンゼルス五輪に参加した
法大の寮生活は過酷だったが、いい選手が多く、チームは強かった。私が1年時の4年生では、川端順さん(広島1位)、池田親興さん(阪神2位)が社会人を経由してプロ入り。翌年は田中富生さん(日本ハム1位)、…
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恐怖の法大寮生活…スポーツ推薦入学も先輩に目を付けられ
私は鳴門高(徳島)時代、明治神宮大会、春夏の甲子園、国体の4大全国大会に出場したことで、プロがあいさつに来てくれる選手になっていた。特に近鉄が熱心だったが、中学時代の恩師に「大学で木のバットに慣れて…
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PL学園や池田の誘いを断って鳴門高校優秀クラスへ進学する
BCリーグ群馬の監督だった2008年からの4年間で地区優勝2回、リーグ優勝1回。フランシスコ・カラバイヨがオリックスに指名され、NPB第1号選手として道を切り開いてくれた。私が携わった中では、外国人…
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日曜ナイター後バスで7時間かけて群馬に帰ると…朝の6時に
ヤクルト時代の同僚・笘篠賢治から、「BCリーグ(プロ野球独立リーグ)を手伝ってくれませんか?」と連絡があった。2007年のことだ。 06年限りで2年間務めた中日のコーチを退任。時間はあった。…
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ロッテ二軍コーチに就任 開幕半月で一軍行きを命じられた
ヤクルト入団時の監督は土橋正幸さんだった。高校を卒業後、浅草のストリップ劇場「フランス座」の草野球チームに助っ人として参加し、東京都大会で優勝。そこからプロ入りした異色の経歴の持ち主だ。江戸っ子気質…
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ヤクルトユマキャンプの珍騒動“国境越え”で監禁騒動に発展
ヤクルトのユマキャンプといえば、思い出すことがある。 ユマはメキシコとの国境に近く、選手数人が休日にドライブをしていたところ、いつの間にかメキシコに入ってしまったそうだ。当時は米国からメキシ…
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広沢とユマに着くと午前中2時間の地獄のアップにビックリ
「大学の卒業式に出てから来ればいいから」 土橋正幸監督率いるヤクルトにドラフト1位で指名された明大の広沢克己(現・克実)と同2位の法大の私は、1月24日から始まっている春季キャンプに合流するた…
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G正捕手争い 打力大城、守備力小林に洞察力で対抗する男は
巨人の正捕手争いは、大城卓三と小林誠司の一騎打ちのように思われがちだ。しかし、原辰徳監督が能力を高く買っている「第3の男」がいる。 16日に一軍昇格を果たした4年目の岸田行倫だ。私が2019…
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原監督に“付き合え”と言われ…2本300万円のワインいただく
原辰徳監督に「ちょっと付き合え」と言われた。地方遠征でのことだ。 原監督が懇意にしている社長宅の夕食会に招待されたのだ。 すると「ワインでもいかがですか?」と出されたボトルは、なんと…
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どうやって打ったら曲がるんだ? 原監督はニヤリと笑った
報道陣を含め、参加者が多い巨人の優勝旅行は、飛行機2機をチャーターして飛び立つ。他球団はだいたい1機だから、巨人はやはり規模が違う。 ■巨人V旅行の楽しみはゴルフ みんなの楽しみは、や…
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V旅行先のカジノでサッチーからもらった100ドルが大当たり
優勝旅行で思い出すのは、ヤクルト選手時代にリーグ優勝を果たした1992年、オーストラリアのゴールドコーストに行ったことだ。 当時のV旅行は「18時に集合してナイトクルーズで食事」のように細か…
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落合監督のドライな思考 私の後任はとっくに決まっていた
2006年の日本シリーズで日本ハムに敗れ、翌日に空路で札幌から名古屋に戻ると、すぐに球団事務所に呼び出された。とりあえず、リーグ優勝は果たした。少しは年俸が上がるかも……。そんな淡い期待を抱きながら…
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落合博満監督は性格が強過すぎる谷繁元信を買っていた
2004年から8年間、中日・落合政権を支えた谷繁元信は、技術力の高い名捕手だった。 配球面に性格が出た。谷繁は一度抑えても、次はマークしてくるだろうとさらに用心する。巨人・小林誠司はここで打…
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肩が強くなくても盗塁を刺せる正捕手・谷繁元信の高等技術
中日のコーチを務めた2005年から2年間、私は落合博満監督が名古屋市内に所有するマンションに住んでいた。04年にコーチ契約をする際、球団に「監督のマンションが空いているけど、どうする?」と勧められた…
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身内のマスコミに批判されても…落合監督は選手を大人扱い
「目線を上げて低めのボール球は絶対に振るな。そのためなら見逃し三振をしてもいい」 落合博満監督は打者にこう指示した。今でこそ、これは球界に定着しているが、2005、06年当時は画期的なことだっ…
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落合監督は首脳陣と選手の食事会場を分け酒の差し入れも
ヤクルト、巨人と比べ、中日のキャンプはとにかく長い。6~8時間、ほぼ休みなしで打ち続ける。過酷だったのは選手だけではない。 打撃練習が長いのだから、打撃投手も1時間くらいはぶっ続けで投げない…
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落合監督の「虫けらノック」で井端、荒木、森野は成長した
「オレ流は全然練習しない」 球界ではそんな噂もあった。実は真逆だった。三冠王3度の落合博満さんは、誰も見ていないところで猛練習をしていた。 そんな落合監督の下、2004年オフに縁もゆか…
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「オレ流」落合監督の入閣打診 早すぎる前々年12月だった
法大の先輩でもある中日・高代延博野手総合チーフコーチから「来年のコーチはもう決まっているから、再来年に捕手コーチをお願いできないか?」と声が掛かった。2003年12月のことで、05年シーズンの内々の…
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遠征先で無断外泊先から球場入り…それでも石井は好投した
ヤクルトのドラフト1位ルーキー石井一久(現楽天監督兼GM)は、1992年の日本シリーズ第3戦で史上初の「レギュラーシーズン未勝利の高卒新人の先発登板」を果たす。4回途中2失点で敗戦投手となったが、高…