元プロ野球選手 私はこうして社長になった
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元日本ハム南竜次さん ブラック企業勤めの苦い経験を糧に起業、モットーは「人は宝」
「もともと全然大したことない選手でしたから、プライドが邪魔をするなんてことはありませんでした」 こう話すのは、現在、家電製品の設置や飲食店経営などを手掛ける「株式会社AIRECサービス」の代表…
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プロ戦力外翌日に会社設立、現在は保険代理店経営 土屋健二さんの原点は粗利600万円の野球教室
2008年、投手として横浜高からドラフト4位で日本ハムに入団。12年にDeNAにトレード移籍し、15年に戦力外となった。引退から7年余り。土屋健二氏は今、「TKホールディングス」の社長として、保険の…
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株式会社BIG UNIT社長 橋本太郎(4)Uber Eatsの月400万円がコロナの窮地を救った
起業から7年目の2020年、コロナ禍に突入。飲食業界が大打撃を受けた。「BEEFMAN(ビーフマン)」六本木本店も営業自粛に追い込まれた。 このピンチを支えたのが焼き肉弁当だった。 「…
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株式会社BIG UNIT社長 橋本太郎(3)元プロ野球選手という理由で店舗物件の契約が白紙に
横浜時代の同僚・岡本直也氏と飲食事業の起業準備をするため、橋本氏は引退直後から4年間勤めた会社を辞めた。 それから半年間は毎日のように2人でミーティングを重ねた。 「寿司屋を開こうにも…
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株式会社BIG UNIT社長 橋本太郎(2)入社半年で店長昇進、全店舗の売り上げでトップに
戦力外となった2008年の暮れから、橋本氏はコラーゲン鍋の専門店「ハレノヒ西麻布店」でアルバイトを始めた。華やかなプロの世界とはまるで違う世界。当初は葛藤を抱えながらも前向きに取り組んだ。 「…
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株式会社BIG UNIT社長 橋本太郎(1)目標があったから乗り越えられた飲食店アルバイトでの葛藤
「プロ野球選手になる夢をかなえた成功体験が、セカンドキャリアに生きています」 橋本太郎氏は自身がプロデュースする神戸牛・但馬牛専門焼き肉店「BEEFMAN(ビーフマン)」を皮切りに、トレーニン…
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株式会社GSL社長 小野剛(4)プロ野球を引退した元選手の受け皿づくりに向けた3本の柱
不動産業や飲食店経営など幅広く手掛ける小野氏のセカンドキャリアの原点は武蔵大時代の恩師・安達教授のアドバイスにある。 「引退する時に安達先生から『将来はおまえが引退した選手の受け皿をつくれ』と…
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株式会社GSL社長 小野剛(3)原発事故による風評被害に心を痛め、巨人原監督と阿部ヘッドをイベントに呼んだ
「福島県のホテルを買収してから、僕の人生が大きく変わりました」 ■人生が大きく変わった「3.11」 小野氏が武蔵大の恩師・安達教授と共同出資でホテル経営に乗り出した3年後の2011年3月…
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株式会社GSL社長 小野剛(2)恩師が導いてくれた引退後の第一歩…不動産会社入社3カ月目で売り上げトップに
2004年に西武入りした小野剛氏は、1年間のイタリア時代にある武器を習得していた。 「ブルペン投球中、直球がシュート回転するたびに首をひねっていた僕に、同僚の捕手がこう言ったんです。『直球より…
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株式会社GSL社長 小野剛(1)工藤公康氏の言葉で火が付いた! 巨人退団後にイタリアへ
「本当に周りの方に恵まれて、ここまでやってこれています」 こう話すのは飲食事業や不動産事業、野球教室などを手掛ける小野剛氏だ。昨年10月からは、人材紹介会社「KSキャリア」の顧問も務めている。…
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W-TK株式会社社長 山本徹矢(4)ダイヤモンド・プリンセス号がビッグビジネスにつながった
山本氏はNHKの関連会社を退職してしばらくの間、外国人専門の人材派遣の仕事に携わった。 「知人にバングラデシュ人の経営者がいて、日本で外国人の留学先や就職先を斡旋していた。その人に頼んで『日本…
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W-TK株式会社社長 山本徹矢(3)起業準備の人脈づくりに奔走して本業を「クビ」に
わずか月収20万円ほどで1日22時間労働もザラだった山本氏は上司からの嫌がらせも重なり、ボロ雑巾のようになりながらも、起業の夢は諦めなかった。 そんなある日、商売のタネを見つけた。番組制作に…
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W-TK株式会社社長 山本徹矢(2)数々のパワハラと嫌がらせ、入社3日目で殴ってやろうかと…
社会勉強のために過酷な仕事を探し、番組制作会社に就職した山本氏は「地獄だった」と、苦笑いを浮かべて当時をこう振り返る。 「そもそもパソコンスキルが皆無だったんです。最初にやった仕事は映像の音声…
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W-TK株式会社社長 山本徹矢(1)コーチに一蹴されて社会勉強の重要性を知った
2020年に人材派遣会社「W-TK株式会社」を立ち上げた山本徹矢氏が起業家を志したのは、現役引退する13年のシーズン中だった。 ■高校時代の写本 投手として神戸国際大付高(兵庫)から0…
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司法書士 桧山泰浩(3)近鉄時代の後悔「プロ4年目の本塁打被弾で野球人生が終わった」
司法書士として福岡市内に「桧山泰浩司法書士事務所」を構えること26年。仕事は順風満帆だという桧山氏だが、現役時代には心残りがある。 東筑高(福岡)から1985年のドラフト1位で近鉄に入団。高…
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司法書士 桧山泰浩(2)野球と司法書士の違い「今の仕事は着地点が決まっている」
「高卒でも取れる資格で、一番高い難易度だったので。誰でも取れる資格を持っていても、飯は食えんと思って」 桧山氏は現役引退から2年後の27歳の時、「自分中心に取り組める仕事は」と考え、司法書士の…
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司法書士 桧山泰浩(1)「やりがいあって勉強の毎日」27歳で司法書士を目指した顛末
1985年、東筑高(福岡県)から近鉄にドラフト1位で指名され入団した桧山泰浩氏は近鉄を退団した翌92年に韓国プロ野球に挑戦も、同年限りで引退。現在は司法書士になっていた。福岡市内に「桧山泰浩司法書士…
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R&Associates代表取締役 香月良仁(4)「今年は地域を盛り上げるイベントを各地で3回やります!」
2020年に起こした「R&Associates」で投球専門の野球教室を運営する傍ら、香月氏はイベント事業を手掛けている。 きっかけは、「さまざまなことを知りたい」という好奇心からだった。 …
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R&Associates代表取締役 香月良仁(3)父の死がプロ入りへ背中を押した
「鮮ど市場に就職した2006年11月、父が心筋梗塞で急死しました」 ■右肘靱帯断裂の大ケガ乗り越え復活 こう打ち明ける香月氏は同年夏、試合中に右肘の靱帯が断裂した。靱帯を再建するトミー…
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R&Associates代表取締役 香月良仁(2)優秀な兄には劣等感…非エリートだからこそ得た気付き
2020年、コロナ禍をビジネスチャンスと捉えて、コロナ関連商品の営業代行事業で月収100万円超を達成した。 しかし、ただモノを売るだけでは限界があると考えるようになった。 「中間商社や…