「オサヒト覚え書き 追跡篇」石川逸子著/一葉社
今年86歳の著者は、明治天皇の父の孝明天皇(オサヒト)の亡霊が追う形で「閔王妃殺害」や「琉球処分」の闇に光を当てる。
とりわけ、現在、鮮明にしなければならないのは1895年10月8日の閔王妃殺害だろう。詩人である著者が指摘するように、大声でヘイトスピーチをしている連中は、隣国の皇后を朝鮮公使の三浦梧楼が首謀して殺したことなどまったく知らないと思われるからだ。その前に三浦は学習院院長をやっている。
日本の言うことを聞かない高宗の王妃を世界に恥ずべき野蛮なやり方で暗殺した。野蛮でなければいいわけではないが、殺害を朝鮮の訓練隊のしわざと見せかけるため、警備の者の制服制帽を奪って、下手人の日本人巡査に着せることまでしたのだった。犯人たちは最初、王妃の遺体を井戸に投げ込み、それでは見つかるかもしれないと、石油をかけて焼いている。殺す前に陵辱したともいわれる。
こうした「事件」を、日本人は忘れても彼の国の人は忘れていない。それからおよそ80年後の1974年8月15日、韓国の大統領・朴正煕の夫人が在日朝鮮人のピストルによって射殺された後、韓国人は「犯人を育て、ピストルを“供給”したのは日本だ」として激しく怒り、連日、日本大使館へデモをかけた。そのとき彼らは口々に、「日本はまたも我が国母を殺した」と叫んだのである。
この本のオビに「反帝ドキュメンタリー・ノベル」とあるが、私も天皇制支持者ではない。しかし、日本の皇后が同じような形で殺されたら、どう思うのか。
イトマン事件で知られる許永中が「泥と血の我が半生」を語った「海峡に立つ」(小学館)で、伊藤博文を殺した安重根をテロリスト呼ばわりする日本人に対して、この「国母暗殺事件」と比較して、こう怒っている。
「閔妃殺害の首謀者は、在朝鮮日本公使の三浦梧楼。この三浦のことを、日本人はテロリストとは呼ぶまい。閔妃の虐殺がテロでなければ、安重根の行為もテロ扱いできないはずだ」
その通りと言うしかない。もちろん、閔妃暗殺は三浦の独断専行ではなく、安重根は伊藤博文の15の罪の第1番に、この殺害の罪を挙げている。そして15番目がオサヒト、すなわち孝明天皇殺害の罪なのである。角田房子の「閔妃暗殺」(新潮文庫)も貴重な本だが、この「オサヒト覚え書き」はより深く歴史の闇に肉薄している。 ★★★(選者・佐高信)