笑わせる側にまわって初めて気が付いた志村けんの偉大さ
月曜日に志村けんさん(このあとは敬称略)の訃報がありました。面識はありませんし、当然お会いすることはかないませんでしたが、それでも志村けんについては書かないわけにはいきません。というのも1972年生まれの私は物心ついて初めて接した面白いものがドリフターズです。もちろん全世代に人気の方ですが、それでも全員集合から見ていた世代にとってはより特別な存在なんです。
とはいえ、小学校高学年に私は志村けんを一度卒業するのです。ひょうきん族の出現により当時の小学生はドリフ派とひょうきん族派に真っ二つ、私はドリフの予定調和の笑いを生意気にも否定し、ひょうきん族に寝返ってしまったのです。さらにその後はダウンタウンへと流れていき、もう志村けんへ戻ることはないと思っていました。
そんななか24歳で落語家になり落語を覚えていくなかで志村けんとの再会を果たします。壺算、持参金といった落語を聞いたときに、これ志村けんのコントで見たことある! となるんです。
実際志村さんは落語、特に桂枝雀師匠が好きだったと聞いてます。きっと落語をコントに持ってきたんでしょう。他にもお店のやりとりや酔っぱらいのやりとりは、時そばや酒にまつわる落語を彷彿させます。