「本当はお嫁さんのプロになりたかった」銀座のマダムが店を閉めて“花嫁修業”
本連載において「山口洋子は強い男に引かれる気質だった」と書いた。野口修もそれに該当する論拠としてである。
4年前に他界した作曲家の平尾昌晃は、洋子を公私ともによく知る盟友とも言うべき存在である。筆者の問いに対し生前、彼は次のような話を聞かせてくれた。
「洋子ちゃんの好みって、お子さまランチみたいな甘いマスクじゃないの。“ジャニーズ系”みたいなのに、彼女はまったく関心を持たない。洋子ちゃんって苦み走った渋い男前がタイプなんだよね。よくよく思うと、安藤さんも権藤さんも野口さんもそういう感じでしょう」
2年間、店を閉めている間、洋子はまるで妻のような献身ぶりだった。権藤の食事を作ることもあれば、慣れないミシンを踏んで木綿のパジャマの右肩に分厚いタオルを縫うこともあった。「投手は肩が命。肩を冷やすのは大敵」と周りから繰り返し注意されたからで、頑迷な言いつけをけなげに守る姿に、不良少女だった過去も、年齢をごまかしてキャバレーで働いた過去も、端役とはいえ東映女優として脚光を浴びた過去も、やくざの愛人として逃走を手伝った過去も、すべてが嘘のようだった。それほどまでに“嫁の務め”をはたそうと考え、そこまでして、権藤の妻になりたかったのだ。自身の半生を顧みて「ちょっと走りすぎた」と思ったのもあったかもしれない。