「本当はお嫁さんのプロになりたかった」銀座のマダムが店を閉めて“花嫁修業”
事実、そのことを示す後年のインタビュー記事が残っている。作詞から小説に軸足を移して、直木賞の最終選考に2度残りながら、2度とも選から漏れた1984年。「来年こそ直木賞を取る」と公言していた時期のコメントである。
「いまの私の状態にあこがれたり、それをすてきだ、幸せだと思う人がいるならば、女にとっていちばんナチュラルですばらしい結婚、家庭という夢を私が捨てたからだということも知っていてほしいですね。本当は私、お嫁さんのプロになりたかったのよ。(中略)今度は男に生まれたいわね。私は女である便利さよりも不便さが、喜びよりも哀しさが多かったから……。(中略)でも、また女に生まれたら、生涯たったひとりの男性の体に生まれて、専業主婦になりたいワ」(「週刊平凡」1984年8月24日号)
■「女を働かせるような男は好きじゃない」
また、こうも言っている。
「私はね、やっぱり基本的に女を働かせるような男は好きじゃないんです。(中略)これは、私の夢なんですけど、もし、生まれ変わることができたらね。絶対、一人の男と知り合って、その男に恋をして、その男に女にされて、その男と結婚して、その男にみとられて死にたい。女って、ほんとうに好きな男に、深く愛されて、一人の男ですむっていうのが、一番の幸せだと思う」(「主婦と生活」1985年10月特大号)