素人投稿ネタを初代Wヤングが演じるラジオ投稿がきっかけで漫才作家に
平川幸男、中田治雄両師匠の初代Wヤング。このお2人がいらっしゃらなければ今の私は存在しません。
高2の夏休みに心臓発作で倒れて学校も中退し、自宅療養を続けていた1978年。大阪出身で漫才大好き、Wヤングの大ファンだった私は、たまたまラジオでお2人の漫才を聞きました。
ビートたけしさんが著書に「何年やっても追い抜くどころか追いつくことさえできない」と言わしめた折り紙付きの実力派漫才。関西人にとってはなんとも心地のいい、間とテンポ。話の展開で瞬時に入れ替わるボケとツッコミ。
中でも人気だったのが、「いい加減に“シイタケ”」とか「“アス”パラどうしたらええねん?」「奥さんまた“ニンジン”したんやて」「“ゴボウ”“ゴボウ”生まれるな」など野菜、地名、政治家の名前など身近なものをダジャレに変えた「洒落づくし」。老若男女問わずわかりやすい、楽しいネタのオンパレード。
それがこの日の漫才はおもしろくなかった。すると女性アシスタントが「平川さん、今日の漫才はおいくらでしょう?」「3000円かな」というやりとり。実はリスナーから投稿されたネタを演じるコーナーだったのです。おこがましくも「これぐらいなら書けるんちゃうか?」という軽い気持ちで生まれて初めて漫才台本らしきものを書いて投稿。ひと月後に採用され、最高賞金の5000円を頂きました。