素人投稿ネタを初代Wヤングが演じるラジオ投稿がきっかけで漫才作家に
■ラジオの中から台本発注
その際、平川師匠に「上手やね、なんちゅう人? 初めてやね」、中田師匠に「続けて書いてきて。楽しみやわ」と言っていただき、その後10本投稿。合わせて11本連続採用され、両師匠から「素人にしとくのもったいない」「今度、テレビで12分の漫才をするからよかったら書いてみて」とラジオの中から“台本発注”をしていただき、15枚ほどの台本をラジオ局に送り、テレビでほとんどそのままやっていただきました。その後の放送で「おもしろかったよ」「ほんまにプロになったらええのに」と褒めていただいた数週間後、中田師匠が突然お亡くなりになり、私の台本投稿も終わりました。「花王名人劇場」のプロデューサーだった故・澤田隆治さんから、「もちろんWヤングも起用してたよ」と伺ったことがありますので、あのまま生きておられたら“やすし・きよし”“ツービート”らと共にきっと漫才ブームの一翼を担われていたことでしょう。
これを機に漫才作家という仕事があることを知り、まだ療養中だった私は大阪シナリオ学校の通信課に入学して週に3~4本の台本を送り、それがきっかけでプロの作家になることができました。