著者のコラム一覧
細田昌志ノンフィクション作家

1971年、岡山市生まれ、鳥取市育ち。CS放送「サムライTV」キャスターから放送作家としてラジオ、テレビの制作に携わり、ノンフィクション作家に。7月に「沢村忠に真空を飛ばせた男 昭和のプロモーター・野口修評伝」(新潮社)が、第43回講談社本田靖春ノンフィクション賞を受賞。

五木ひろしの光と影<21>五木ひろしは2年連続栄冠逃し…厚かった「ナベプロの壁」

公開日: 更新日:

■あいつらさえいなければなあって

「初年度から絶対取らせるつもりだったけど、『今回は新人みたいなもんだから』って周りに言われて取れなくてさ。じゃあ次こそって思ったのに次の年も取れなかった。全然届かなかった。悔しかったねえ。厚い壁だと思った。だって、みんな必死でやってたんだよ。徳間音工のスタッフも、ウチの社員も、五木本人も頑張ったし、『姫』のスタッフだって……。でも無理だった。この頃はナベプロが邪魔だった。あいつらさえいなければなあって、そればっかり考えていたね」

「ナベプロ」……当時の芸能界の最大勢力、渡辺プロダクションである。つまり野口は「ナベプロの攻勢が強すぎて、思うように営業活動ができなかった」と言いたいのだ。五木ひろしが初めて大賞候補曲にエントリーされた71年は森進一、小柳ルミ子と2人のナベプロの所属歌手もエントリーされていた。72年に至っては、小柳ルミ子、沢田研二、天地真理と3人も立ちはだかった。すなわち「彼らの存在が邪魔だった」のだ。

 これまで賞レースにはさほど見向きもしなかった渡辺プロダクション社長の渡辺晋、副社長の渡辺美佐だったが、大賞受賞がレコード会社のみならず、事務所やグループ全体にもたらす利益が尋常でないことにもはや座視できず、この前後から社を挙げて積極的に賞取りに向けて営業をかけるようになっていた。そのナベプロをもってしても70、71、72年と3年連続でグループと無関係の歌手に大賞を奪われていた。焦りもあったはずだ。それが結果的に、審査員であるマスコミや音楽評論家へのプレッシャーにつながり、独立プロである野口プロにも波及していたのである。ただし、野口修は「事態は決して悪くない」と見ていた。

「ウチにだってチャンスはある」

 73年初頭、野口修は野口プロモーションの社員を前に高らかに宣言した。

「いいか、今年は3つのタイトルを取る。3つのタイトルだぞ。いいか。絶対取る」 =つづく

最新の芸能記事

日刊ゲンダイDIGITALを読もう!

  • アクセスランキング

  • 週間

  1. 1

    ロッテ佐々木朗希は母親と一緒に「米国に行かせろ」の一点張り…繰り広げられる泥沼交渉劇

  2. 2

    米挑戦表明の日本ハム上沢直之がやらかした「痛恨過ぎる悪手」…メジャースカウトが指摘

  3. 3

    陰で糸引く「黒幕」に佐々木朗希が壊される…育成段階でのメジャー挑戦が招く破滅的結末

  4. 4

    9000人をリストラする日産自動車を“買収”するのは三菱商事か、ホンダなのか?

  5. 5

    巨人「FA3人取り」の痛すぎる人的代償…小林誠司はプロテクト漏れ濃厚、秋広優人は当落線上か

  1. 6

    斎藤元彦氏がまさかの“出戻り”知事復帰…兵庫県職員は「さらなるモンスター化」に戦々恐々

  2. 7

    「結婚願望」語りは予防線?それとも…Snow Man目黒蓮ファンがざわつく「犬」と「1年後」

  3. 8

    石破首相「集合写真」欠席に続き会議でも非礼…スマホいじり、座ったまま他国首脳と挨拶…《相手もカチンとくるで》とSNS

  4. 9

    W杯本番で「背番号10」を着ける森保J戦士は誰?久保建英、堂安律、南野拓実らで競争激化必至

  5. 10

    家族も困惑…阪神ドラ1大山悠輔を襲った“金本血縁”騒動