五木ひろしの光と影<21>五木ひろしは2年連続栄冠逃し…厚かった「ナベプロの壁」
五木ひろしが初めて「日本レコード大賞」の候補曲にエントリーされたのは1971年の「よこはま・たそがれ」である。この年のそれ以外の候補曲は以下の通り。「傷だらけの人生」(鶴田浩二)、「おふくろさん」(森進一)、「さいはて慕情」(渚ゆう子)、「また逢う日まで」(尾崎紀世彦)、「さらば恋人」(堺正章)、「知床旅情」(加藤登紀子)。また、最優秀新人賞の「わたしの城下町」(小柳ルミ子)も候補曲に含まれた。このとき野口修は「一気に大賞を取る」と宣言したが「おふくろさん」とのデッドヒートを制した「また逢う日まで」に大賞の栄冠は輝いた。「おふくろさん」には“準優勝”とも言うべき「最優秀歌唱賞」が贈られた。業界筋にとって初顔の五木ひろしは新人扱いにすぎず、本来であればエントリーされただけで上出来だったはずだが、それでも野口修は、じだんだを踏んで悔しがった。
翌72年も五木ひろしは「夜汽車の女」でエントリーされたが、ほぼ満票に近い支持を得た「喝采」(ちあきなおみ)に大賞を持っていかれた。2年連続で栄冠を逃したことについて、生前の野口修は次のように回想している。