五木ひろしにとって1973年は浅草国際劇場の新春公演から始まった。1月8日の初日から14日まで連日満員の観客が詰めかけた。幸先のいいスタートである。3月25日には第1弾シングル「霧の出船」をリリース。野口プロも徳間音工も多額の資金を投じてキャンペーンを展開したが、思いのほかセールスは伸びなかった。これ以上伸びないと見ると、野口修はすぐ新曲を提案した。
一方、ライバルであるナベプロが動き出したのはこの直後である。4月21日、大本命とみられた沢田研二がソロ6枚目のシングルをリリースする。ソロ最大のヒット曲となる「危険なふたり」(作詞・安井かずみ/作曲・加瀬邦彦)である。