沢村忠得意のキックを「真空飛び膝蹴り」と命名 誕生の背景には“視聴率戦争”
1968年9月30日夜7時からTBSで、レギュラー番組「YKKアワー キックボクシング」が始まった。これによって新しいプロ格闘技「キックボクシング」と、エースに指名された沢村忠の勇姿が、テレビの電波に乗って全国のお茶の間に届けられた。
この時代、「民放の雄」と呼ばれたTBSは、どのテレビ局より視聴率が高く、その効果は絶大だった。キックボクシングが新しくスポーツコンテンツに名を連ねたのは、ここからである。しかし、通説では「番組のスタートから20%を超える高視聴率を連発して一気に人気番組の仲間入りを果たした」などと伝わるが実際はそうではなかった。
筆者が当時の視聴率を調べたところ、ビデオリサーチ社に限っていえば、初回放送分は16・1%と目標の15%はクリアするも、翌週以降は15.5%、17.2%、13.5%、14.6%、13.6%と、20%どころか15%を割り込むこともあった。
理由は裏番組にあった。言うまでもなく夜7時は子供のテレビの時間であった。NET(現・テレビ朝日)では横山光輝の人気少女漫画「魔法使いサリー」、日本テレビでは梶原一騎原作のサッカー漫画「赤き血のイレブン」、フジテレビでは戦前からの漫画の大家・田河水泡の「のらくろ」と各局が強力な人気アニメを揃えて熾烈な視聴率戦争を繰り広げていたのだ。特に「魔法使いサリー」の人気は絶大で、常時25%以上をマークしていた。それが年内で終了することになって、関係者は大いに喜んだはずだが、69年1月から新たに始まった赤塚不二夫の「ひみつのアッコちゃん」が前作を上回る人気で、毎週30%を超える数字をはじき出していた。