五木ひろしの光と影<23>山口洋子は平尾昌晃に「ズズとの仕事はほどほどにして」と懇願した
日本中を席巻したGS(グループサウンズ)ブームで、名実共に頂点に立ったザ・タイガース。そのリードボーカルの沢田研二は、グループ解散後の1971年11月「君をのせて」でソロデビューを果たすと、2枚目の「許されない愛」がチャート4位、「あなただけでいい」(5位)、「死んでもいい」(9位)、「あなたへの愛」(6位)と連続してチャート入りし、この時期「レコ大に最も近い男」と呼ばれていた。五木ひろしの楽曲を山口洋子が作詞していたように、ソロ以降の沢田研二の楽曲は、10曲中7曲が安井かずみの作詞によるものだった。
高校卒業後、訳詞のアルバイトを経て作詞家となった安井かずみは、「おしゃべりな真珠」(伊東ゆかり)、「シー・シー・シー」(ザ・タイガース)、「経験」(辺見マリ)、「わたしの城下町」(小柳ルミ子)と立て続けにヒット曲を手掛け、売れっ子作詞家の仲間入りを果たした。すなわち山口洋子にとってライバル的存在になるが、敵対関係にあったかというと、そうでもなかった。むしろ「同志」と呼べる間柄だった。この2年後、天地真理の「さよならこんにちわ」(作曲・筒美京平)を共作でリリースしている。両者をよく知る平尾昌晃の証言がある。