【かっけ】日本の学者の無理解が世界的大手柄を奪った
鈴木梅太郎のオリザニンや都築甚之助のアンチベリベリンの精製は、日本のかっけ治療の研究の王道から無視され続けました。これに対して、インドネシアに派遣されたエイクマンのニワトリの研究やフォルデルマンの囚人研究によって明らかにされた玄米、米ぬか成分に含まれる栄養素によるかっけの予防治療は、その後のかっけ対策の王道になっていきます。
ロンドンのリスター研究所のフンクは、エイクマンに始まるかっけ研究に注目し、鈴木梅太郎同様、イギリス領マラヤ連邦から大量に送られてきた米ぬかから抗かっけ成分の精製に心血を注ぎます。その結果精製された成分にビタミンと名付けて発表します。1912年、鈴木梅太郎のオリザニンの発表とほぼ同時期です。栄養素ビタミンの歴史は、ここから始まるのです。
さらにこのフンクの研究がビタミン単一物質の精製抽出につながります。このビタミンの抽出の研究につながる端緒となったニワトリの実験の業績で、エイクマンにはのちにノーベル賞が与えられています。
もし鈴木梅太郎のオリザニン抽出後、日本がその先の研究に国を挙げて取り組み、この抗かっけ物質の同定が日本でなされていれば、ノーベル賞は彼に対して与えられていてもおかしくはありません。そうなれば、今われわれが「ビタミン」と呼んでいるものは、「オリザニン」と呼ばれていたかもしれません。
今では多くの種類が明らかにされているビタミンですが、その最初はかっけとの戦いから発見され、そこには多くの日本人が関わっていたのです。