農学部教授の「オリザニン」発見を無視した日本の医学者
臨時脚気病調査会が「かっけ栄養不足説」を否定し続ける中、日本でも栄養不足説に沿って研究をする人たちが現れます。そのひとりは前回登場した都築甚之助で、1914年に米ぬかから有効成分を抽出し「アンチベリベリン」と名付けて臨床試験を行いました。
その結果は129人のかっけ患者を対象とし、アンチベリベリンを投与したところ、全員が全治し、死亡例ゼロ、全治までの平均期間は15日と報告しています。比較対照がないものの、これまでのかっけが死に至る病であったことを踏まえれば、全員が全治したという結果は十分な効果といってよいのではないでしょうか。
そしてもうひとりが、東大農学部教授の鈴木梅太郎です。彼もまたエイクマンのニワトリの実験を追試し同様な結果を得ると、米ぬかの中にかっけを治療する成分があると確信し、その成分の精製に邁進します。都築に先立つこと2年の1912年、この抗かっけ成分の精製に成功し、これを「オリザニン」と名付け論文に発表します。
しかし、またしてもオリザニンはかっけの治療に使われません。鈴木は医者でなく化学者であったため、学会で医者に向けて臨床試験を行ってくださいと呼びかけます。これに対する当時の医者たちの反応は冷淡でした。相変わらず東大グループは細菌説を唱え続け、ニワトリの病気と人のかっけが同じ病気であるとは考えませんでした。
オリザニンの臨床試験が行われ、その効果が確認されるのは1919年の京都大学教授の島薗順次郎の発表を待たねばなりません。7年もの間、オリザニン精製の業績は放置され続けるのです。