豊富な栄養素を余さず生かすフランスの家庭料理の知恵
食べられることを目的とした唯一の生体物質を心していただくべき理由
肉にせよ、卵にせよ、野菜にせよ、魚にせよ、食材とはいずれも他の生物の生命の一部もしくは全部を収奪してしまう行為であり、食べることは生きることであると同時に、他の生物を殺生することでもある。私たちはこの事実に対していつも謙虚であるべきで、地球環境に対して常に敬意を払わなければならない。
この食の掟の中にあって、ただひとつだけの例外ともいえるものが「乳」である。乳は唯一、食べられることを目的としてつくられた生体物質であり、また再生産が可能な物質でもある。ヒトを含め哺乳動物の赤ちゃんは乳だけを栄養源として発育するから、乳には生存のために必要なエネルギーと栄養素が十全に含まれている。
この意味で乳は完全食といえる。昔、私が受けた生物学の試験で、乳の主要な成分を記せ、というものがあった。乳には、タンパク質、炭水化物(乳糖)、脂質の3大栄養素がおよそ3%ずつバランスよく含まれている。しかもミセルという微粒子として分散しているので(だから白濁している)スムーズで飲みやすい。消化も良い。初期の乳には赤ちゃんに必要な免疫物質も含まれている。
さて、牛乳についていえば、それは本来、子牛のためのもので、人間がかすめ取っているという点では収奪していることに変わりはない。人間が牛乳をいただく代わりに、安価な代替飼料である肉骨粉(他の動物の死骸から作られた餌)が与えられたことによって英国で狂牛病が大発生した。ヒツジの伝染病が餌を通じて乳牛に感染したもので、草食動物である牛を、強制的に肉食動物に変えるという蛮行がもたらした人災だった(現在は禁止)。
効率のために自然のサイクル(この場合は食物連鎖)に安易に介入すると、大いなるリベンジを受けることになるという教訓がここにはある。心して食材をいただかなくてはなるまい。
▽福岡伸一(ふくおか・しんいち)1956年東京生まれ。京大卒。米ハーバード大医学部博士研究員、京大助教授などを経て青学大教授・米ロックフェラー大客員教授。「動的平衡」「芸術と科学のあいだ」「フェルメール 光の王国 」をはじめ著書多数。80万部を超えるベストセラーとなった「生物と無生物のあいだ」は、朝日新聞が識者に実施したアンケート「平成の30冊」にも選ばれた。
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