当時の投手コーチが振り返る「地獄の伊東キャンプ」の真実
走り込みを終え、ヘトヘトになってグラウンドに戻ってくる投手陣を見ると、長嶋監督は喜んだ。
「馬場平からグラウンドに戻る途中の山道に60段くらいの階段があった。グラウンドから一塁ベンチの上を見上げると、ちょうど見える位置でね。監督にサービスしてあげようと、何度か途中でバスを降ろさせ、階段上り5本! と選手にやらせたりもした。這うように階段を上る選手を見て、監督が実にうれしそうにグラウンドから『足が動いてないぞーっ!』などと大声を張り上げる。選手はたまらなかっただろうね(笑い)」
キャンプ後半、投手陣にはフリー打撃に登板させた。その際、マウンドの前に置く防球ネットを撤去。これも、高橋氏の発案だった。
「ミスターも杉下さんも『善ちゃん、それは危ない。大丈夫か?』と心配したけど、『集中してやれば、球なんか当たりません。仮に当たって骨折しても、開幕まで4カ月ある。骨もひっつくでしょ』と。選手には『当たりたくなかったら、打たれなきゃいい。全力で投げりゃいいだけだ』とだけ言ってね。結局、あのキャンプでは故障者が一人も出なかった。選手の、というより、人間の底力を感じました」