当時の投手コーチが振り返る「地獄の伊東キャンプ」の真実
キャンプ真っ盛りのプロ野球。この時期になると必ず話題になるのが、79年秋の巨人キャンプである。長嶋第1次政権5年目となったこの年、巨人はシーズン5位と2年連続で優勝を逃した。翌80年に引退する王貞治をはじめ、主力が高齢化。世代交代の必要に迫られた長嶋監督が、若手選手18人だけを連れて、当時では珍しかった秋季キャンプを行った。今もって「伝説」「地獄」と称される1カ月間のこのキャンプで、投手コーチとして陣頭指揮を執った評論家の高橋善正氏(70)が振り返る。
静岡県伊東市で行われた、「地獄の伊東キャンプ」に参加したのは投手が江川卓、西本聖、鹿取義隆ら6人、野手は中畑清、篠塚利夫(現・和典)ら12人。18人の平均年齢は23.7歳だった。
「シーズン終了後に集められたコーチがミスター(長嶋監督)から言われたのは一言、『巨人の将来を背負って立つ若手を徹底的に鍛えたい。血ヘドを吐かせるまでやる』ということでした。心技体というけれど、監督の考えはまず、強い体と精神力を身につけ、技術はそれからというもの。キャンプ地が伊東だと聞いた瞬間、監督の望み通りに選手を鍛えるなら、あそこしかねえな、と思った。私は67年に東映に入団し、73年に巨人に移籍するまでの6年間、伊東でキャンプをやっていましたからね。だったら、馬場平しかねえ、と」