当時の投手コーチが振り返る「地獄の伊東キャンプ」の真実
馬場平――。参加した選手が今もその地名を聞くと顔をしかめる、1周800メートルのクロスカントリーコースである。オートバイのモトクロス場として造られたこのコースは、起伏が激しいデコボコ道。ゴール前の上り坂は傾斜が30度はあろうかという長さ80メートルの急勾配だ。ここをタイムを計られた上で10周も走らされるのだから、選手には地獄だった。しかも、午前中に300球から400球の投球練習をし、その後に数百という単位の腹筋・背筋などの強化トレーニングを行った後にである。選手は文字通り、血ヘドを吐く思いだった。
「江川卓が毎日400球前後の投げ込みをやらされたと言ってる? 卓も大げさだね(笑い)。投球練習は1日1人25分と決めていた。投げたいヤツはその時間内にテンポ良くやれば、200球くらいはいく。投げたくないヤツはのんびりやっていい、100球で済むだろと。球数に関してはそれくらいの逃げ道は用意した。その後の強化トレ、走り込みは一切、妥協しなかったけどね。ブルペンのある伊東スタジアムから馬場平まではバスで15分くらい山道を上っていくんだけど、3日目くらいから車内で誰も口をきかなくなった。それは宿舎でも一緒でね。2日目までは、夜に誰かの部屋に集まって選手とジャン卓を囲んだ。3日目にきょうもやるか? と部屋を訪ねたら、真っ暗な部屋で倒れるように横になった選手がピクリともしない。それくらい追い込みましたね」