相棒が渡辺でなかったら私の指導者人生は終わっていた
一言で言うと、渡辺は「気配りの人」。練習に来なくなった選手がいれば、渡辺は何度でも自宅へ迎えに行き、生徒や親と熱心に対話する。今どきの選手は、他の若者と同じように、みんな携帯電話を持っている。少しでも「おかしい」と感じれば、選手にメールを送って気持ちを把握しようとする。実にきめ細かいのである。同い年だが、私はメールをしようとは思わない。画面と格闘しながら選手たちとメールをしている渡辺は凄いと思ったものだ。
例えれば私は「野球職人」で、渡辺は「野球教育者」。私がグラウンドで選手を怒鳴り散らして指導している間、渡辺が口出しすることはない。渡辺が選手に人生論を説いている時、私は黙っている。お互いの領域には決して踏み込まない。「あうんの呼吸」でやってきた。
若い頃は一緒によく飲み歩いた。数年前に甲子園へ行った時、「妻には感謝してもしきれない」と渡辺がしみじみと話していたことを思い出す。私も妻や子供たちには散々苦労をかけたが、渡辺夫人はこれまで何十年間も野球部の寮を切り盛りしてきた。「横浜高校野球部の母」のような存在だった。
袂を分かったこともあったが、相棒が渡辺でなければ、私の高校野球指導者人生は続いていなかった。甲子園で春夏合わせて5度の全国制覇。お疲れさま、と言いたい。最後の夏、渡辺が完全燃焼できるよう、力になれることがあれば協力したいと思っている。