91年ドラフトで近鉄は即戦力右腕を1位で獲得 高柳を「立場危ういんじゃ?」と冷かしたら…
高柳にしっかりしろと言うそばから、今度は2位で神戸製鋼の左腕・江坂政明が指名された。
左腕の先発は小野1人。私は左肘を痛めて6試合に先発しただけだったから、社会人出身の即戦力を獲得したのはある意味、当然。むしろ私の方が置かれた立場が危ういわけで、高柳を冷やかしている場合ではないと思った。
「来年はお互い、ちょっと気合を入れて頑張らないとな」
2人でこう言い合ったのを覚えている。
そして翌92年のシーズン。高柳はこの年、13勝して新人王を獲得した高村の加入で気合が入ったのか、自己最多の21試合に先発して前年を上回る8勝(8敗)をマークした。
一方の私は先発とリリーフで19試合に登板、そのうち16試合に先発したものの6勝6敗。思うような結果は残せなかった。
チームはこの年、首位の西武と4.5ゲーム差の2位。仰木監督は3年連続V逸の責任を取る形で、この年限りで退任することになる。
仰木さんの最後の指揮は10月13日、藤井寺球場で行われた日本ハム戦だった。「いちばん投げさせたい投手に投げてもらう」と、私はこの試合の先発に指名され、3回を無失点に。その後、佐野重樹、入来智、吉井理人、清川英治さん、高柳、野茂とつないでサヨナラ勝ち。私はリーグ優勝以降、期待に応えることはできなかったものの、仰木さんが有終の美を飾ることができたのはせめてもの救いだった。(つづく)