シリーズ「昭和の亡霊・7つの戦時用語」(6)「りっぱな戦死とえがおの母親」

戦時用語としての「非国民」が突破口になり、日中戦争が持久戦争になっていくのに比例して、用語は次第にスローガンへと変わっていった。前回紹介したように、ヒトラーがナチス用語を作って国民をファシズム体制に染め上げていったように、日本もまたその例に倣ったかのようであった。スローガン化し…
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