野田義治「新・巨乳バカ一代」
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キャンピングカーに寝泊まり 日曜の朝からテレビ局に営業
日曜日早朝。 目黒区青葉台の瀟洒な社屋、ダイヤモンド映像本社2階のリビングルームから、不気味な音が漏れていた。 監督の村西とおるをはじめ、日比野正明、ターザン八木といった社員助監督た…
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自腹でCD購入 “歌手・かとうれいこ”を全力でバックアップ
堀江しのぶのスカウトで一躍、芸能界の新星となった芸能事務所イエローキャブと野田義治代表。 だが堀江しのぶはスキルス性胃がんによって23歳の若さで急逝した。稼ぎ頭の死によって、野田義治は窮地に…
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かとうれいこ出し惜しみ戦略「水着はグラビアだけ」が奏功
「僕は当時、堀江しのぶでもやったんだけど、歌が多少へたでもビジュアルだけで商売になる子がいるんだってことを、レコード会社に売り込んでいたんですよ」 野田義治が最初に発掘してマネジメントした堀江…
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短大生の“かとうれいこ”を見て直感…「この子は売れる!」
雑誌好きの野田義治は、いつものように何げなく雑誌を読んでいた。 「ほとんどどんな雑誌でもとりあえず目は通してますよね。それこそ普通の堅い雑誌からドエロの本まで。エロい本ほど可愛い子が出てるんで…
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野田氏が語る「本当は巨乳って言葉はきらいだったんだ」
「“巨乳”っていう言葉、誰が名づけたのかよく聞かれるんだけど、おれがいつも言ってるのは、名づけ親は本橋信宏だって。ダイヤモンド映像から“毎月1日は巨乳の日”って、松坂季実子の新作が出たでしょ。そのとき…
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ダイヤモンド映像を復活させた松坂季実子の迫力ボディ
倒産寸前状態だったダイヤモンド映像に、松坂季実子という新人がスカウトされた。 1969年生まれ、都内の女子短大国文科2年生の彼女は、一度だけという条件で出演を承諾した。 ダイヤモンド…
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村西とおるも野田義治も価値紊乱者ゆえの孤独を抱えていた
バブル全盛期の1988年秋。 高級住宅街、目黒区青葉台の一角に立つ瀟洒な白亜ビルは、夜通し明かりがともっていた。AVの帝王の異名をもつ村西とおる率いるダイヤモンド映像がこのビルの主であり、ス…
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堀江しのぶ死後…内情は火の車だった村西とおると野田社長
事務所唯一の稼ぎ頭だった堀江しのぶの夭逝によって、野田義治は窮地に追い込まれた。 経済的ピンチを救ったのは村西とおる監督だった。村西とおるが経営する芸能人イメージビデオ制作会社、パワースポー…
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飯島直子は自分のアソコに水着の上からポラで割れ目を…
野田義治は雑誌グラビア、イメージビデオ、すべての撮影現場に顔を出し、ときにはカメラマンや監督以上に自社のタレントに指示を出す。 露出を抑えるようにカメラマンに圧力を加えるのではなく、その逆。…
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88年を代表するキャンギャル10人ハイレグ姿をまとめて撮影
プールサイドに揃った、総勢10人のキャンペーンガールたち。 企業やプロダクションの垣根を越えた、史上空前の撮影だった。 ブリヂストンキャンペーンガール・河口りか 東洋紡キャン…
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村西監督から野田に課せられた前代未聞のミッションとは
1988年、超一流企業のキャンペーンガール全員を集めたビデオを作れ。 村西とおるから野田義治に命じられた新作ビデオ企画は前代未聞であった。 時代はバブル全盛期。 各企業の余っ…
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堀江しのぶの死で涙は枯れ果て悲しみだけが残ったが…
野田義治が最初に手がけたタレント第1号、堀江しのぶがスキルス性胃がんによって23歳という若さで急逝した。 野田が率いるイエローキャブ唯一の稼ぎ頭が亡くなると、事務所へ入る収入は途絶えた。 …
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消え入りそうな声でしのぶは「わたし…仕事が…したい」
まだ意識があった。 スキルス性胃がんは無慈悲にも23歳という若さの堀江しのぶを地上から奪い去ろうとしていた。 いままで世話になった野田の顔を見て、彼女はかすかに笑みを浮かべた。野田に…
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病床の堀江しのぶを守るため“天敵”梨元勝にメディア対応依頼
野田義治が初めてマネジメントをした堀江しのぶが、難病のスキルス性胃がんのために、余命2カ月を宣告された。 抱えるタレントは堀江しのぶただ一人。 野田を支えたのは、村西とおるの芸能人専…
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初めてのオリジナル作品はダウンタウンのシャワーシーン
野田義治の回想。 「最初にパワースポーツで撮った芸能人イメージビデオは、村西のとっつぁんからのオファーで、“大阪にいまダウンタウンというすごく有名な若手漫才師がいる。これ撮ってきてほしい”って…
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抜擢したカメラマンたちは村西とおるの“サンドバッグ軍団”
野田義治が経営していたイエローキャブ唯一の所属タレント、堀江しのぶがスキルス性胃がんで余命2カ月と宣告された。毎月300万円という高額の医療費や生活費が野田のもとにのしかかってくる。野田は営業で飛び…
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しのぶの病気を聞いた村西とおるは「わかった」と一言だけ
野田義治が発掘し育て上げた堀江しのぶは、人の心を癒やす笑顔と顔立ちからは想像もつかない豊満な胸が相乗効果を上げ、グラビアやテレビで彼女の姿を見ない日はないほどだった。 その堀江しのぶが人気の…
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堀江しのぶがスキルス性胃がんと判明 余命2か月の宣告に…
野田義治が白衣の医師に呼ばれた。 レントゲン写真を前にして医師が言葉を発した。 「実は……スキルス性胃がんです。残念ながら、もってあと2カ月でしょう」 31年後。 この…
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堀江しのぶが珍しく弱音を…「お腹が痛くて食欲がないの」
堀江しのぶの人気はとどまるところを知らなかった。 胸の大きさで売り出すアイドルというのは当時存在せず、むしろ胸の大きさは愛くるしさを売りにするアイドルにとって、大人の性を感じさせるマイナス要…
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満面の笑みで自己紹介「わたくし、村西とおると申します」
1988年初春、野田義治は斉藤慶子主演「採光の個室」発売元のパワースポーツが入っている四谷の高級マンションを訪れた。 堀江しのぶもこのメーカーからプロモーションビデオを発売してもらうのが目的…