しのぶの病気を聞いた村西とおるは「わかった」と一言だけ
野田義治が発掘し育て上げた堀江しのぶは、人の心を癒やす笑顔と顔立ちからは想像もつかない豊満な胸が相乗効果を上げ、グラビアやテレビで彼女の姿を見ない日はないほどだった。
その堀江しのぶが人気の頂点に立った1988年4月、スキルス性胃がんが発覚、医師から余命2カ月の宣告を受けた。野田は高額の医療費を堀江しのぶの両親に負担させず、みずから背負い込んだ。毎月300万円の支出が野田にのし掛かる。
四谷から目黒区青葉台に事務所を移した村西とおるの元を訪れた。
「(堀江)しのぶが病気なんだ」
「どうした?」
「ものすごくカネがかかる病気なんだ。稼ぎたいんだ。仕事やらせてくれないか」
「わかった」
村西とおるはそれ以上、野田に病気のことを尋ねなかった。
1988年夏。
村西とおるはAVメーカー、クリスタル映像から独立し、新たにダイヤモンド映像とパワースポーツという新会社を起こした。