かとうれいこ出し惜しみ戦略「水着はグラビアだけ」が奏功
「僕は当時、堀江しのぶでもやったんだけど、歌が多少へたでもビジュアルだけで商売になる子がいるんだってことを、レコード会社に売り込んでいたんですよ」
野田義治が最初に発掘してマネジメントした堀江しのぶが人気絶頂のとき、スキルス性胃がんで逝去した。
悲しみのどん底にいながら再起を図る野田に、幸運が舞い降りた。
白夜書房から発行されていた「写真時代ジュニア」のグラビアで見かけた埼玉県の短大生をスカウト、かとうれいこの芸名でデビューさせた。
細身のカラダで豊満な胸。顔は野田が呼称する「和顔」、日本人が好む気品に満ちた顔立ちだった。
野田のもくろみは当たり、第16代クラリオンガールに選ばれ、各誌グラビア、表紙に出ずっぱりになった。
出版業界には、同じ週、同じ月の表紙には同一人物を起用しない、という不文律がある。ところが野田はそんな慣例を破った。かとうれいこは同じ週、同じ月だろうがあちこちの表紙、グラビアに出まくった。