堀江しのぶの死で涙は枯れ果て悲しみだけが残ったが…
野田義治が最初に手がけたタレント第1号、堀江しのぶがスキルス性胃がんによって23歳という若さで急逝した。
野田が率いるイエローキャブ唯一の稼ぎ頭が亡くなると、事務所へ入る収入は途絶えた。
闘病を支えたときはまだ精神的に張り詰めた状態だったが、死亡してからはしばらく野田は呆然とした日々がつづいた。
「一番、精神的、経済的に落ち込んだときでした。だから仕事が忙しいのがなによりでした。そうしないと、もう(堀江)しのぶの死で落ち込んだままだったし、それじゃどうしようもないし、新しい子との出会いもないだろうって、あえて仕事をやらせてもらったんです」
人間、暇な時間があると、つい考えなくてもいいことをひねくりだして鬱になってしまうものだ。忙しいときはスランプだと感じることもなく過ぎていく。
涙が枯れ果て、悲しみだけが残ったとき、野田義治にとって生きる望みは仕事でしかなかったのだ。
堀江しのぶのプロモーションビデオをつくってもらおうと、飛び込みでいったパワースポーツという新興のビデオメーカーで、野田は再起を図った。