病床の堀江しのぶを守るため“天敵”梨元勝にメディア対応依頼
野田義治が初めてマネジメントをした堀江しのぶが、難病のスキルス性胃がんのために、余命2カ月を宣告された。
抱えるタレントは堀江しのぶただ一人。
野田を支えたのは、村西とおるの芸能人専門のイメージビデオメーカー、パワースポーツだった。
村西とおるが証言する。
「ちょうどそのころ(1988年)、堀江しのぶは入退院を繰り返していたころで、野田も収入がなくなって、たしか車の中で寝泊まりしてましたよ」
堀江しのぶが大病を患っていると、野田義治本人から聞いた村西とおるだったが、それ以上のことは聞かず、黙ってプロデュース料として現金300万円を手渡した。
「あのころやつには毎月300万現ナマで払ったけど、おれにとっては30円程度の感覚でしたよ。あいつは一生忘れないかもしれないけど、300万なんて1分で忘れちゃう金額だったからね、あのころのおれは」
当時を振り返り、村西とおるがそう回想した。