急逝した桂雀々さんの思い出…「笑いの神様」に守られた“持ってる人”だった
「じゃくさん」「ぽんちゃん」と呼び合う仕事仲間で、テレビやラジオで15年ほどお世話になっていました。会うたびに「ゆっくり飯食いましょうな」「行きましょう行きましょう」と口約束をしたまま、昨年の11月に急逝した落語家の桂雀々さん。
初めて会った日、「漫才作家」と書かれた名刺を渡した時に「漫才書いてまんのん? すごいな! 僕も噺家やけど一番好きなんは(漫才の中田)ダイマル・ラケット先生ですねん。あの漫才だけは笑わせてもらいましたな」「僕も大好きです!」と話がはずみ、先輩の作家と3人で「ダイマル・ラケットを語る会」をやろうと決めたままになってしまいました。
「オカンは子どもの時に蒸発して、オトンはバクチで借金つくって、毎日取り立ての怖い兄ちゃんが来て、その間、見つからんように息を殺して、こたつの布団の中に隠れてたがな。ゴキブリと一緒ですわ! それが今はこうして(落語家として)ご飯食べさせてもうてる。ホンマにありがたいことですわ。人生何が起こるかわからへん。生きてなあきまへんな」と壮絶な子ども時代も笑い話に変えて、屈託のない笑顔で話していました。