亡くなった下條アトムさん「『鉄腕アトム』より僕の方が“先輩”なんですよ。そのおかげで…」
先日、お亡くなりになられた下條さん、最初の話は、やはり「アトム」という“キラキラネーム”でした。
「みなさん芸名だと思われるんですけど、本名なんですよ」「からかわれたり、いじめられたりされませんでした?」と伺うと「あったのかもしれないけど、自分ではそれほど感じなかったな……それより『鉄腕アトム』より、僕の方が“先輩”なんですよ。そのおかげで手塚治虫先生にお会いできてうれしかったですね。おまけに同級生に“ウラン”という名前の女の子がいたんです。こんな偶然てありますか? それで『アトムとウラン』でテレビにも出してもらいました。そういう意味では“有名人”でしたね」と苦笑されていました。
お父さんが俳優(下條正巳)だったので、子どもの頃から楽屋に出入りしていて「メークや衣装で別人に変わっていくのが不思議で楽しくて、自然に自分も役者になろうと思ってましたね」。
最初は俳優業だけでは食べていけず、声優に挑戦。エディ・マーフィの吹き替えは代表作になりました。大スターの雰囲気を壊してはいけないし、どうしようか悩んだ末に“彼が日本語で話すとどうなるだろう?”と思って「ひょうきんな感じでやってみたんです。声をあてるだけじゃなくて、画面に合わせて体も動かしながらやってましたね。だからエディがやってるんだけど、自分がやってるような感覚っていうんでしょうか。彼のキャラクターを壊さないように、映画を壊さないようにっていう思いだけでしたね」。