ミヤコ蝶々さんは存在そのものが「芸」 客席を自在に泣かせて、笑わせた
東京生まれの大阪育ちで、キレのいい東京弁と人なつっこい関西弁を自在に操り、関西にとどまらず喜劇界では「神様」のように崇められているミヤコ蝶々さん。
1991年に「上方お笑い大賞」(読売テレビ)という番組で、私が秋田実賞を受賞した年、蝶々先生も「20周年記念特別賞」を受賞されていたので楽屋へご挨拶に伺いました。楽屋へお邪魔すると開口一番「おはようさん、なんやねんな?」と“おまえは誰やねん?”という冷たい空気。「秋田実賞? アンタが? 漫才師にしては華がないと思た」とキツい一言。それでも「まぁ座りいな」と椅子を勧めてくれ、「誰の漫才書いてんのん? 人気もんばっかりやんか、芝居も書いてんのん? そうかいな、へえ……」と姿勢を正されて「秋田実先生といえば、私が漫才を教えていただいた大先生です。そんな先生の名前をいただいた賞をもらうんやさかい、おもろい漫才書いてくださいね」と頭を下げてくださいました。
「頑張ります!」とお応えするとキッとにらむように「下品なんあかんで!」とビシッと一言。「若いな~」「33歳です(当時)」「けっこういっとんねや! ハハハッ」と笑いながら「しっかりやってちょうだい!」とあたたかい言葉をかけてくださいました。