黒柳徹子氏語る ミャンマーの子供が話した「平和」の重み
人間にとって目標なく生きるのはとってもつらいこと
テレビ放送史を代表するひとり黒柳徹子氏。その半生は記録ずくめだ。42年目に入った「徹子の部屋」(テレビ朝日系)は「同一司会者番組の最多放送回数記録」でギネス認定。1981年に出版した著書「窓ぎわのトットちゃん」(講談社)は累計800万部を超える戦後最大のベストセラー。16年9月に始めたインスタグラムは「オシャレ」「かわいい」と若い女性に大人気で、フォロワー数は70万人に迫る勢いだ。そして、ライフワークのユニセフ親善大使は33年目を迎え、延べ38カ国を訪問。5月にはミャンマーを約1週間視察した。傘寿を迎えてなお周囲を圧倒するほどの気力、体力はどこから湧き上がってくるのか。
■あどけなさが消え目端が利く子どもたち
――ミャンマー訪問前はマラリアなどの感染症を心配されていましたが、現地はいかがでしたか。
おかげさまで体調は大丈夫でした。海外視察には毎回、予防接種を全てしていきます。黄熱病、破傷風、A型・B型肝炎、日本脳炎、狂犬病、コレラ……、一通りね。気の毒だったのが、中国とインドに国境を接したカチン州の国内避難民キャンプ。キャンプって聞くと、「UNHCR」(国連難民高等弁務官事務所)の青文字が入ったテントを思い浮かべるでしょうけど、カチン州のキャンプは6年も経っているんです。テント暮らしではなくて、竹でそれぞれおうちを造って、それが長屋みたいにズラーッと連なっているの。といっても、1世帯の居住スペースは4畳ほど。10万人ほどがそこで暮らしています。
――厳しい暮らしですね。
床も竹製なんですけど、1センチくらい隙間が空いているの。寒くなったら吹き上げる風で冷えるだろうなと思いましたね。上がらせてもらったんだけど、立って歩くとバリッと折れそうで。四つん這いになって力を入れないようにズルズル進みましたよ。インタビューをした親子5人家族はおうちに火をつけられて、オートバイ1台で逃げてきたんですって。もともとは農家だけど、キャンプ生活では畑仕事をする場所がない。たまに日当400円くらいで農家を手伝うこともあるけれど、手持ち無沙汰で何となくずーっと座っている。一発何かやってやろうとかいう環境がない。目標なく生きるのも、人間にはつらいんだって思いました。
――飢えや死の恐怖から逃れられても、漫然と生きるのはしんどい。
壁が1面しかないおうちに住む家族がいたの。子どもに「壁がなくて寒くないの?」って聞いたら、「出入りが面倒くさくなくていい」って。その返しはおかしかったけど。クギが出ていたり、落ちていたりする。みんな裸足で歩いているから「取ったらどうなの?」って言うと、「面倒くさい」って。そういう環境に置かれると、熱心に働く気にならないんだと思いますね。
――教育施設も視察されたそうですね。
ミャンマーの人たちがすごいのは教育の必要性が分かっていること。国全体にそういう呼吸が息づいているというか。キャンプから小学校、中学校へ行く子もいるし、寄宿舎から通う子もいる。ある小学校で掛け算みたいなものをやっていたのね。九九の3×3=9といった感じで、ザザンザザ、ザザンザザ……って。大したもんだと思いました。「どんな勉強が好き?」って聞いたら「経済! 経済!」っていう男の子がいたの。「国の偉い学者になって経済を立て直す」って言うのね。軍事政権だったのが民主化して、アウン・サン・スー・チーさんが国をリードするようになったでしょう。捕まる心配をせず、自由に発言できるようになったようなの。子どもたちは「今は何をしゃべっても大丈夫」って言っていました。