「きっかけは私」島袋寛子が匂わせたSPEED解散“複雑理由”
平成の時代に大ヒット曲を連発した「SPEED」のメインボーカル、島袋寛子(34)がこのほど、「きっかけは私だったと思う」と2000年のグループ解散劇についてテレビで振り返り、話題になっている。
1996年に「Body&Soul」でデビューして以来、リリースしたシングル17枚のうち「White Love」など7枚がミリオンヒットを記録、CDなどの総売り上げ500億円を超えながら、わずか3年8カ月で活動にピリオドを打った。その理由について、島袋は20日放送の日本テレビ系トークバラエティー「今夜くらべてみました」でこうコメントしたのだ。
「私の個人的なところで言うと、声が出なくなるとか、思春期ということから、このまま大人になっちゃいけないという焦りとか……。それぞれ(のメンバーも)勉強したいとか、いろいろな思いがあって1回休もうかということになったんだけど(ファンに)変な期待を持たせたりするよりも解散の方がいいじゃないのかとなり……」
■11歳でデビュー
グループ結成当時まだ11歳だった島袋。デビューした途端、時代の寵児となり、紅白歌合戦などで脚光を浴び続ける目まぐるしい日々の中で、自分を見失いそうになっていたのかも知れない。だが、なぜ今、解散理由について胸中を吐露したのだろうか。
デビューから解散までを取材したスポーツ紙芸能記者はこう言う。
「まず、声が出なくなるというのは大きかったと思います。当時はハイトーンで声を張り上げる歌い方の全盛期で、引退した安室奈美恵さんもハイトーンによる喉の酷使で声帯を壊してしまい、それで限界なのかなと思っていたことを打ち明けています。今回改めて島袋がしゃべった背景には、番組コーナーが『さよなら平成ソング女子会』と銘打たれ、ひとつの時代が終焉を迎えているということもあるでしょう。あと解散を発表した当時、理由として島袋の恋愛があったんじゃないかという見方もありました」
当時の恋愛事情について、今回島袋は語ってはいないが、騒動にもなった解散劇について「いろいろありましたね」としみじみと語った。あれから約20年、酸いも甘いも噛み分けるようになったであろう現在からすれば、どれも遠く、懐かしい思い出ということか。